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「交通の要衝」南風原町 四つの高速道路出入り口 <けいざい風水>


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 琉球王朝時代の主要道路は、首里を中心に宿道(しゅくみち)と呼ばれ、北部方面への西宿(イリジュク)と東宿(アガリジュク)、南部方面への真和志宿(マワシジュク)と南風原宿(ハエバルジュク)などが整備されました。古くからサバニや山原船により発達した海路に対し、陸路は明治時代に馬車、大正時代に軽便鉄道やバスが登場するまでは徒歩が中心でした。

 沖縄戦で破壊された道路は、米軍により那覇名護間の1号線などが軍事用に整備され、復帰後は一般交通のための国道58号線等へ整備されました。1975年の海洋博を機に高速道路も整備され、87年には沖縄自動車道として全面開通しています。現在は沖縄自動車道から分岐した那覇空港自動車道が名嘉地ICまで開通しており、今後5年程度で那覇空港までの全線開通を目指しています。このなかでも南風原南―南風原北IC間は沖縄自動車道の主要区間と同様1日5万台以上の交通量があります。少し意外かもしれませんが、那覇IC料金所は南風原町にあるため、今後開設予定の南風原JCT(南部東道路に接続)も合わせると、南風原町は四つの高速道路出入口を有する「交通の要衝」と言えそうです。

 南風原町都市計画マスタープランでは、南風原北IC周辺は商業施設の集積、南風原南IC周辺は産業誘致等を検討しています。南風原町は沖縄県で唯一海に面していない市町村であり、津波などの災害リスクが小さくBCPの観点から産業立地として優位にあります。近年人口増加も続いており、「交通の要衝」として今後の発展が期待されます。

(沖縄銀行南風原支店支店長 長嶺初)