<書評>『フリチョフ・ナンセン 極北探検家から「難民の父」へ』 果敢な姿、現代へのエール


社会
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『フリチョフ・ナンセン 極北探検家から「難民の父」へ』新垣修著 太郎次郎社エディタス・2640円

 日本を代表する難民研究者が、「知の翼」を広げ、丹心こめて彫琢(ちょうたく)した評伝。北極圏を踏破し、後年は希代の人道支援活動家としても知られるフリチョフ・ナンセンの精神と生きざまを、閉塞(へいそく)感に押しつぶされそうな今を生きる若い人々に「エール」として送り届けようとする著者の思いがあふれている。

 極北探検に挑んだ盛年のナンセンに著者が見いだしたのは、冒険家としての勇姿ではなく、未踏の地を「科学したい」という徹底した学術的探究心であった。想像に余る数々の難事に、ナンセンは、学問分野を横断するだけでなく、学問と実践の壁をも飛び越えて挑んでいく。「知の翼」を携え、自由に羽ばたくその生き方を「リベラル・アーツ的」と評し、著者はそこにナンセンという人間の本質を見る。

 リベラル・アーツ人としての能力は、第1次世界大戦後の国際連盟期にさらに研磨されて現れる。40万人以上を死の淵から救った捕虜帰還事業などを経て、ナンセンはロシア難民高等弁務官に就任する。21世紀の現在に引き続く国際難民制度の誕生である。だが、「国際法上わずかな空間すら持たない異常な存在」と表現された人々への人道支援活動は困難をきわめた。本書が描きだす西洋諸国の冷淡な対応は、今日の国際社会の実情を映し出すかのようである。

 とはいえ、国家に捨て去られた難民に「人間として存在する資格」を与えたナンセン・パスポートの創出をはじめ、この時期に編み出された諸制度の効能はけっして小さなものではなかった。情感たっぷりに本書が伝えるように、生を永らえた人々の記憶の中に、ナンセンの存在は脈々と息づいている。何より、武力ではなく「連帯の情」で平和を実現しようとする姿勢には、格別の共感を覚えずにはいられない。

 時に大流に押し戻されながらも人生の航路を果敢に進んだナンセンの姿は、歴史の岐路を生き抜くためのインスピレーションに富む。その一つ一つを丹念に拾い集めた本書に、老年の身ながら評者もまた大いに力づけられた心持ちである。

(阿部浩己・明治学院大教授)


 あらかき・おさむ 沖縄県出身。国際基督教大教授。主著に「時を漂う感染症―国際法とグローバル・イシューの系譜」。