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「プロになれた恩返し」オリックスの宮城投手、父と野球基金 苦しかった幼少期…少年少女に夢を


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宮城大弥さんと基金を設立し、沖縄の子どもたちの支援に当たる父の享さん=10日、宜野湾市我如古のダイヤスポーツ(金良孝矢撮影)

県内の野球少年少女が経済的な理由で夢を諦めないよう支援する「一般社団法人 宮城大弥基金」が活動を本格化させている。「いろんな人の助けがあってプロ野球選手になれた。プロになったら恩返しをしよう」。苦しい家庭環境からプロ入りしたオリックス投手の大弥さん(21)=志真志小―嘉数中―興南高出=が、父で基金代表理事の享さん(55)と交わした約束が設立のきっかけだ。

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左腕の大弥さんは身長171センチとプロでは大きくはないが、物おじしないマウンドさばきで2021年はシーズン13勝で新人王、22年は11勝を挙げ日本一を決めた試合の勝利投手になった。今年3月のワールド・ベースボール・クラシック(WBC)の日本代表に選ばれた。

幼少の頃は苦しい日々の連続だった。両親と妹の4人暮らし。ユニホームはつぎはぎで、具のないカレーが10日続くことも。周囲から「貧乏人」とばかにされた。それでも4歳から始めた野球に打ち込んできた。

志真志ドラゴンズや宜野湾ポニーズでプレーし、県外や海外遠征の切符をつかんでも、家計は「遠征費を到底まかないきれない」(享さん)状況だった。事故で左手が不自由な享さんは、複数の仕事を掛け持ちしお金を工面。「本気で野球と向き合っている」息子のため奔走した。

高校に進んだ大弥さんは甲子園大会を2度経験。日本代表にも選ばれ、19年にオリックスからドラフト1位指名された。入団契約金の一部は、お世話になった宜野湾市や学校などに寄付した。「野球を続けさせてもらっていたことに感謝したい」と振り返る。「地獄」(享さん)のように苦しかった当時があって、今があると実感している。

22年2月、自身と同じように苦しい環境で育つ少年少女のため基金を設立した。高校卒業まで用具代や遠征費などを支給する。募集は昨年12月から始まり今年3月頭まで募る。享さんが選考も行い支援を決定する。毎年3人を選出する方針だ。  享さんは「継続していると必ず実を結ぶ。諦めることなく一つのことを貫いてほしい」と期待を込める。大弥さんも「スポーツを通してさまざまな経験をしてもらえたらいい」と語る。

基金は大弥さんの出資が大半を占める。「自分の一番の仕事は野球で頑張ること。少しでもいい結果を残せるよう頑張っていきたい」と大弥さん。寄付に協力する企業や個人も募集している。詳細は基金のホームページ https://hm-co.org/ で確認できる。 (金良孝矢)