5月10日は「母の日」。プロ野球で活躍する沖縄出身の選手たちにとっても、母親は食事や生活面など土台づくりを支えてきた存在だ。ドラフト会議、初めてのお立ち台などで親への感謝を口にする選手も多い。沖縄出身選手のエピソードをまとめた。
700円のグラブからドラフト1位でプロに!
2019年のプロ野球ドラフト会議でオリックスから1位指名を受けた宮城大弥(興南高校出身)は、名前が呼ばれた瞬間、横で涙を流す母・礼子さんの手をぎゅっと握りしめた。
「ごめんな、いつか恩返しするから」。宮城が遠征のたびに口にしてきた言葉だ。父・亨さんはで学生時代の事故で左肘から下に後遺症があり、宮城家の家計は苦しかった。
4歳で野球を始めた時に買ってもらったグラブは700円のビニール製だった。亨さんが息子のためにグラブを柔らかくしようと電子レンジで温めたら溶けてしまったという逸話も。引っ越し費用を遠征費に充てたこともあり、練習では試合用のユニホームをつぎはぎしながら使った。
宮城は「みんなにばかにされながらも一生懸命だった」と振り返る。貧しさに卑屈になることなく、息子の才能を信じ笑いの絶えない両親のもとで着実に力をつけた。
中学3年時にU-15日本代表入り。名門・興南高校に進み2度、甲子園のマウンドを踏んだ。高校屈指の投手として注目されると、ダルビッシュ有がツイッターで宮城を絶賛し、話題にもなった。
プロ入りが決まり、礼子さんは「大弥が投げる姿が楽しみ」と言い、宮城は「苦しい時期でも野球をさせてもらった。活躍して(両親に)恩返ししたい」と誓った。期待のサウスポーは座右の銘「一生百錬」を胸に、プロの世界に挑む。
母の日に日本人最速100号!
2018年にパ・リーグの最優秀選手(MVP)に輝き、19年は2年連続で本塁打王を獲得した西武の山川穂高(中部商業高校-富士大出)。19年5月12日の日本ハム戦で、日本人最速となる通算321試合目で100本塁打を達成した。同じ試合、七回には101本目を記録。この日は母の日。山川はお立ち台で「決して裕福ではないけど、僕がお母さんの分もご飯を食べて、育ててもらった。この体はお母さんにつくってもらった」と感謝した。
山川は母の喜代子さんに女手一つで育てられた。母の勧めで学んだ書道は8段の腕前だ。18年の母の日の試合では、沖縄出身のバンド「かりゆし58」が母親への感謝を歌った「アンマー」を打席の登場曲に選び、犠飛で7試合ぶりに打点を記録した。
医療現場で闘う母の姿に影響、マスク寄付!
今年、プロ8年目で初の開幕投手に指名されていた東浜巨(沖縄尚学高-亜細亜大出)は、新型コロナウイルスの感染拡大を受けて4月末、母校の小中高校を中心に計4万枚のマスクを寄贈した。母の孝子さんが看護師として働き、いとこも医療従事者としてコロナと闘っており、「医療用のマスクや消毒液が足りないと聞いてずっと気になっていた」と話していた。
マスクは母校の与那城小、与勝中、沖縄尚学高校に加え、離島の渡名喜小中学校や出身地のうるま市、県に寄付。市や県を通じて医療従事者にも届けられるという。
東浜は「こういう状況の中、地元のためにできることはないかと考えていた」と郷土への思いを口にし、母を含めて最前線で治療にあたる医療従事者には「頭が上がらない」と語った。
寄付するマスクには直筆の手紙も添えた。「皆で笑い合える日を楽しみに前を向いて日々を過ごしていきましょう。僕も皆さんに少しでも力を与えられるような人間、選手になるために、これからもプロ野球という世界で頑張っていきます。一緒に乗り越えていきましょう」