救われた命、戦語り続ける 「生きて」永岡さんの言葉を胸に 90代の翁長さん、伊智さん


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沖縄戦での行動経路や助かった体験などを話す伊智萬里子さん(右)と翁長安子さん(左)、比嘉芳子さん(中央)=浦添市

 78年前の沖縄戦で、翁長安子さん(93)=那覇市=と伊智萬里子さん(99)=浦添市=は特設警備第223中隊・通称永岡隊の隊長だった永岡敬淳さんに、それぞれ命を救われた。永岡隊は郷土部隊で、永岡さんは首里の安国寺の住職だった。翁長さんと伊智さんは2月19日に約3年ぶりに再会。翁長さんの同級生の比嘉芳子さん(93)も加わり、「戦争は絶対やってはいけない」と戦の過ちや命の大切さを語り合った。

 ■スパイ容疑

 1945年3月下旬、伊智さんら小湾(現在の浦添市)の女子青年12人が救護班に“召集”された。小湾に駐屯する第62師団の中隊に行くと「死ねば靖国神社へ行ける」と言われ、軍国主義に染まっていた伊智さんは誇らしかった。

 日本軍第32軍司令部が拠点にした首里に向け、米軍が侵攻。小湾も激しい戦闘になった。伊智さんは看護にかけずり回り、負傷兵を首里の野戦病院に運んだ帰り、副官に呼び止められた。「スパイか慰安婦か」。

 スパイと言われるくらいなら、相手を殺して死んでしまおう―。いとこにつぶやいた。「慰安婦ンディイラリィミ、手りゅう弾シウヌタンメー小ワンガクルスクトゥヤ、ワッタータイ、ウリシ死ナヤー(慰安婦なんて言われてたまるか。このじいさんを殺してしまうから、あなたの手りゅう弾で死んでしまおう)」。

 それを聞いた永岡さんが「過ちを犯したら駄目だ!」と手りゅう弾を取り上げ、身元を引き受けてくれた。

 ■託された思い

 翁長さんも永岡さんに救われた。第32軍司令部は45年5月下旬、持久戦継続のため首里の放棄と南部撤退を決定。しかし「永岡隊は郷土部隊だから最後まで首里を守れ」と命じられ、首里の永岡隊の壕は攻撃にさらされた。多数の死者を出し部隊は南部へ。けがをした翁長さんは一人後を追い伊智さんや部隊と合流、山城(現在の糸満市)で捕まった。永岡さんはそこで自決したとされる。

 翁長さんは再会した伊智さんに、戦後どのような思いで生きてきたのかを明かした。「永岡さんに『君たちは若い。生きて戦があったことを語ってくれ』と言われたのよ。だから私は戦を語ってきたの」。戦争で命を粗末にしてはいけないと教えられた2人。涙をこらえながら託された“使命”の重みを語り合っていた。
 (中村万里子)