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沖縄の離婚率はなぜ高い?~戦後の女性の歩み、「長男信仰」やトートーメーも(上)


この記事を書いた人 Avatar photo 慶田城 七瀬

 全国的に高いと言われる沖縄の離婚率。沖縄県の2021年人口動態統計では、離婚率は2.20で19年連続で全国1位だったと発表された。実はそれ以前からも明治時代以来、離婚率はずっと高かったという。

 理由はさまざまだが、沖縄の離婚というと、貧困やアルコール依存、配偶者からの暴力…などを思い浮かべる人も多いだろう。社会的な背景に目を向けてみると、沖縄の家族観やジェンダー問題で避けて通れない「トートーメー(位牌継承)」の問題や、戦後の米統治から日本復帰まで固有の変化があった。時代の移り変わりが女性たちの意識にどう影響を及ぼしたのか。

 離婚率の高さとともに沖縄の女性のあゆみを、沖縄の女性史に詳しい専門家や女性相談の現場を経験した関係者に聞いた。

(慶田城七瀬)

なは女性センターの市民講座で講演する宮城晴美さん=1月

統計に表れない要因

 「沖縄はなぜ離婚率が高いのか」と題して1月28日に開かれたなは女性センターの市民講座。会場には沖縄女性の歴史やジェンダーに関心のある参加者が多く来場した。講師は沖縄女性史家の宮城晴美さんだ。

 宮城さんによると、近年の離婚理由として、離婚調停の申し立て理由には、妻から「性格が合わない」「異性関係」「暴力を振るう」「酒を飲み過ぎる」「生活費を渡さない」などがある一方、夫側からは「性格が合わない」「異性関係」「同居に応じない」などがあるという。

 ここまでは一般的な統計データなどで紹介されているのを聞いたことがある人も多いだろう。そのほかにも統計には表れない原因があるという。

 沖縄的な特徴のある事例として、「男子の出生を要求する夫親族への疲れ」「夫が長男で給料の多くが実家に渡る」「妻が実家のことをやり過ぎる」「できちゃった結婚」ーなどを挙げた。

 これらの背景にはトートーメー(位牌継承)を中心とする沖縄の伝統的な先祖崇拝の文化が根付いていることが挙げられる。 

沖縄の伝統的な仏壇(イメージ写真)

 男性は、家の財産継承を長男にこだわる「長男信仰」により、進学や就職で県外に出してもらえなかったり、男子のいない親族に養子にされ、位牌を継承させられることもある。

 一方、女性は、結婚しても生家と婚家のつながりを求められ、年中行事の多い地域では、祭祀をになう役割を持つ女性が不在となることで不都合が生じるとされてきた。これらから「離婚もやむなし」という風土をつくっているのではないかーと宮城さんは推察する。

男女平等を求めて新民法施行へ

 かつて沖縄の女性たちが、古い家制度から抜け出し男女平等を求めて声を上げていた時期があった。

 第二次世界大戦の後、男女平等をうたった新民法が日本本土で施行されたのは1948年だが、同じ頃、米国統治下にあった沖縄では壊滅的被害を受けた地上戦の影響で戸籍簿焼失など混乱期にあり、明治民法が適用されたまま、近代の家族形態が維持されていた。

 旧民法では、結婚は家と家同士の契約とされ、さらに家長の同意が必要とされたほか、婚姻によって妻は無能力者と見なされ、法的な権利を行使する場合には夫の同意が必要だった。

 これらを背景に、男児を産まない妻を追い出して再婚したり、妻と愛人が同居するいわゆる「一夫多妻」のような形がとられることもあったという。

 個人の尊厳と男女平等をうたう現行の民法へと、旧民法の改正を求める女性たちの訴えが当時の琉球新報に載っている。

新民法の施行を祝うパレードを取りあげた記事。「男女は平等になりましたが、婦人はこの民法を生かすよう努力しなければなりません」という沖縄県婦人連合会の決議文も紹介された(1957年1月13日付の琉球新報紙面)

 当時は沖縄は米統治下にあり、琉球政府が適用していた明治憲法を、日本の民法に一部改正できるかが当時の沖縄県議会にあたる立法院で審議された。

 陳情を受けて、1957年に新民法が施行された。女性たちは、施行を祝ってパレードで行進したり、法律の普及のための勉強会を開いたりしていた。当時の熱気が紙面からも伝わってくる。

 当時家庭裁判所がなかった沖縄では、県婦人連合会による家裁設立に向けた運動もあった。代わりに家事審判を担っていた中央巡回裁判所での家事調停が増えたことにより。当時の報道では「早くも女性解放の動き」と報じられた。婦人連合会による相談所も始まった時期で、離婚についての相談が最も多かった。

 しかし新民法の施行で調停や相談は増えたものの、離婚には至らない時期でもあった。 

新民法の施行により家事の審判や調停が増えたことを報じた記事。「早くも婦人解放への息吹」との見出しも。(1957年1月12日の琉球新報)

 沖縄県史や国勢調査の概況を基に宮城さんが調べたところによると、離婚率の順位は、1950~65年は15~45位までで推移していた。これには経済的な背景があるとされる。

 沖縄では戦後、米国統治や日本復帰という世替わりとともに、通貨の切り替えが5回も行われた。60年代は外資導入や砂糖、パイナップル缶詰めの増産などによる経済成長があった。またベトナム戦争の特需と日米両国政府からの経済援助で沖縄の経済はピークに達するが、物価も跳ね上がり、女性たちは生活を守ることに必死だった。

 当時相談を受けていた大城光代弁護士の「法律相談のしおり」によると、夫が愛人をつくって生活をかえりみない、または、酒を飲んで暴力を振るうーなど、女性たちからの離婚相談が多くなっていった。しおりには「経済力がなく、自己主張せずに忍従に慣らされた女性が多い」と綴られていた。

(下に続く)

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