全国的に高いと言われる沖縄の離婚率。沖縄県の2021年人口動態統計では、県内の離婚件数は3187組で前年比223組減少したものの、離婚率は2.20で19年連続で全国1位だったと発表された。一方で、実はそれ以前からも明治時代以来、離婚率はずっと高かったという。離婚の理由はさまざまだが、沖縄の離婚、というと、貧困やアルコール依存、配偶者からの暴力…などを思い浮かべる人も多いのではないだろうか。社会的な背景に目を向けてみると、沖縄の家族観やジェンダー問題で避けて通れない伝統文化である「トートーメー(位牌継承)」や、戦後の米国統治時代から日本復帰まで、沖縄には社会環境の変化があった。激動の時代変化が女性たちの意識にどう影響を及ぼしたのか。離婚率の高さとともに沖縄の女性のあゆみを、沖縄の女性史に詳しい専門家や女性相談の現場を経験した関係者に聞いた。
(慶田城七瀬)
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沖縄の女性が離婚に踏み切るようになった背景にあった出来事とはなんだろうか?
宮城さんは、女性の意識改革へとつながった出来事の一つに、1967年の沖縄婦人団体連絡協議会(婦団協)の結成を挙げた。沖縄が日本に復帰する前に、公立保育所の設置などを求めて女性たちが連携し生活を守る運動をするようになった。
その後、1976年~85年までの国連が定めた国連婦人の10年は、世界各国が女性の地位向上のために国内の行動計画を策定し計画、実施するという期間にあたるが、85年までに4回開かれた世界会議に沖縄の女性たちは毎回参加を続けた。
同じ期間に沖縄県内では、トートーメーを女性が継承できるよう提訴して勝利や和解を勝ち取ったり、県職員の共働き規制問題で反対行動が起きたりしていた。
また、父系血統主義だった日本の国籍法の影響で、沖縄には駐留米軍人や軍属と沖縄の女性との間に生まれ国籍を取得できない「無国籍児」が多く誕生していたが、問題解消のために国籍法改正を求めてロビー活動をするなど、声を上げ続けた。
宮城さんは「確固たる理由はこれだとは言い切れないが、沖縄の女性たちが声をあげてきたことが離婚したい女性たちの背中を押したと言う面もあるのではないか。深刻な問題でもあるが、我慢せずに声をあげるようになっているという見方もできるのではないか」と投げ掛けた。
1985年の離婚率を見てみると、沖縄は全国1位となり、その後も1、2位を続けている。
切り離せない「女性への暴力」
「離婚」といっても、その決断にいたる個人的な事情はさまざまだろう。失業率の高さや低賃金、アルコール依存や配偶者による暴力、なども沖縄では大きな問題だ。離婚率だけでなく、配偶者からの暴力に関する相談件数も全国を上回り、保護命令件数も全国で上位が続いている。
沖縄県が発表している「女性保護事業のあらまし」によると、2021年に県女性相談所や福祉事務所に寄せられた相談では、「夫等からの暴力」が来所相談の全体の約8割、電話相談の約6割を占めている。また月2回の法律相談の8割超が「離婚」に関する相談だ。
1983年から女性で初めて沖縄県婦人相談所長(現在は女性相談所)を務めた翁長孝枝さん(86)は当時の状況を今も覚えている。売春防止法を根拠に設置された相談所だが、幅広く女性の相談に対応している。
所長時代に受けた相談の大半は、夫やパートナーからの暴力だった。被害を受けた女性を保護していることで事務所を逆恨みして刃物を手に押しかけてくる人もおり、身の危険を感じたこともある。保護した女性の法的な手続きで家庭裁判所に向かうため、車の後部座席に毛布を掛けて隠して移動したこともあったという。
翁長さんは、当時の経験を振り返りながら、今も続く離婚率の高い現状に「(問題の)根っこにある家父長的な問題はいまもクリアできてない。(トートーメーなど)慣習的な問題や性別の固定的な役割分担意識など、変わらない部分が残り続けている。政治や行政の力も必要で、個人のレベルでは解決できない構造的な問題もあると思う」と話した。
沖縄女子短大で教鞭をとっていたこともある翁長さん。若い女性たちに、女性のための相談機関や制度などを知っておいてほしい、と繰り返し伝え続けた。困難な問題に直面した時でも解決の糸口がつかめることがあるからだ。 「できるだけ孤立しないでほしい。友人や誰かと共有することで知恵が付いたり、考えが見えてくると思う」。
近年では、性暴力を告発し連帯する#metoo運動など、女性たちの運動は全国的にも高まっている。「時代は敏感。前向きな方向に動いてほしい」と話し、女性の人権が尊重される社会への実現に期待を寄せた。
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