【豊見城】1940年(辰年)生まれの八重山出身者は、八重山在住者が「昇龍会」、県外在住者は「龍の子会」、沖縄本島在住者は「龍巻友の会」と、それぞれ龍を冠した会をつくって活動している。2000年10月8日に三つの会が合同還暦祝いを開いたのをきっかけに、近況報告と情報交換のツールとして会報紙「龍巻友の会」を作り、豊見城市高嶺在住の新崎善八郎さん(82)が三つの会員300人に毎月欠かさず郵送している。このほど、会報紙を01年11月の第1号から22年12月の250号まで、21年間分をまとめて製本化した。
![](https://ryukyushimpo.jp/tachyon/legacy/002/202303/14da8cda341d2f0d7c30f853a62d6b77.jpg)
![](https://ryukyushimpo.jp/tachyon/legacy/002/202303/3b2f5c5f2ece4a92503363ff8a130690.jpg)
多くの仲間の支援を受けながら、第1号から250号まで編集長を務めた新崎さんは「自分たちが生きた証し、生きざまを子や孫に伝えたいという思いが共有された」と会報誌の意義を語った。第2号には会のモットーとして「健康でハッピーの人生を送ろう」と記した。健康第1、2番目に友情と絆、3つ目に故郷を思う(心)などを大木の枝に例えて「龍フレンズの絆を深め大木になろう!」とイラストで表現した。
最も思い出に残った記事は、22年2月5日発行の第240号で「あの時 あそこへ行きさえしなければ」と題して、昇龍会の仲吉委子(ともこ)さんが寄稿した、西表島であった戦争マラリアの秘話。「妹は風邪で亡くなったと聞かされていたが、ある日、朗読劇『ハテルマ・ハテルマ』公演を参観したのをきっかけに、妹がマラリアで死んでいったことが母親から断片的に明かされていく内容が涙を誘う」と話した。
会報は250号で一区切りつけ「今後は不定期で発行することになるかもしれない」と説明した。
(喜屋武幸弘通信員)