【渡嘉敷】沖縄戦当時、渡嘉敷村で「集団自決」(強制集団死)が起きてから78年を迎えた28日、村渡嘉敷の白玉之塔では、2019年以来4年ぶりに村主催の慰霊祭が催された。村民や遺族ら約100人が慰霊祭に参列し、目に涙をためながら犠牲者に鎮魂の祈りをささげ、花を手向けた。
1945年3月26日、座間味村阿嘉島、慶留間島、座間味島などに上陸した米軍は、翌27日には渡嘉敷島にも上陸。渡嘉敷村民らは、日本軍の命令で島の北側にある北山(にしやま)に集められるが、行き場を失い、28日に手りゅう弾などで330人が犠牲になった。
新型コロナウイルス感染の影響で2020~22年は慰霊祭が中止となり、自由追悼にしていたが、今年は通常通りの開催となった。慰霊祭では新里武広村長が式辞を述べ「悲惨な島の戦火を知る人は少なくなっているが、恒久平和の誓いを新たにし、平和を願う情報発信を続けていく」と伝えた。
戦火の中、弟を亡くした男性(86)は、「毎年3月28日は必ずこの場所に来ている」と話し、弟の名が刻まれた刻銘碑の下にケラマツツジなどの島に咲く花を供えた。
式典ではこのほか、渡嘉敷小中学校の児童生徒と阿波連小の児童らが作った千羽鶴を白玉之塔にささげた。
(金城実倫)