首里城の地下にあった日本軍の司令部壕「32軍壕」ってどんな場所?<ニュースはじめの一歩>


この記事を書いた人 Avatar photo 琉球新報社
1995年に保存検討委が視察したときの第32軍司令部壕の坑道

Q.首里城公園の地下にある第32軍司令部壕って何だろう。

A.1945年の沖縄戦で日本軍が司令部を置いた壕です。32軍は沖縄の軍備強化のため、その前年の44年3月に創設されました。
 入り口は複数あって、全体の長さは約1キロ。44年12月に、沖縄師範学校男子部や県立第一中学校の生徒らを動員するなどして築かれました。
 日本軍の沖縄での戦いには、米軍の日本本土への上陸を遅らせ、戦いの準備をするとの考えがありました。
 45年4月に沖縄本島に上陸した米軍を食い止められなくなった日本軍は5月、この司令部壕で本島南部に撤退することを決めます。降伏ではなく、時間を稼ぐために退きながら戦いを続けることを決めました。
 この結果、南部の住民、避難民らが激しい戦いに巻き込まれ、10万人が巻き添えになりました。「軍隊は住民を守らない」という教訓として語り継がれています。
 崩れる可能性もあり、一般の人が入ることはできません。沖縄戦を語り継ぐための重要な場所として保存と公開を求める声があり、さまざまな分野の専門家が22年から検討を続けていました。
 それがまとまり、3月に結果が玉城デニー知事に提出されました。沖縄戦を未来に伝えていく重要な場所と位置付け、安全に配慮した保全を進め、段階的に公開していくことを提案しました。当面の間、仮想現実(VR)技術も使った公開方法も検討するよう促しています。
 提言を受けた県は、今後、基本計画を立てて保存方法や公開時期について詳しく決めていきます。