やなかじに吹き消されるな平和のともしび 元ひめゆり学徒・本村ツルさん告別式に400人 参列者が沖縄戦の継承誓う


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本村ツルさんの祭壇の前で焼香の列に並ぶ人たち=10日、浦添市前田のサンレーグランドホール中央紫雲閣

 元ひめゆり学徒で、糸満市のひめゆり平和祈念資料館館長などを務め、7日に97歳で亡くなった本村ツルさんの告別式が10日、浦添市前田のサンレーグランドホール中央紫雲閣で営まれた。資料館で共に戦争体験を語り継いできた元学徒や同窓生、次世代の語り部ら約400人が参列。遺族や関係者が最後の別れを惜しみ、沖縄戦を伝えていく思いを新たにした。

 本村さんは1943年に沖縄師範学校女子部本科へ入学。沖縄戦で南風原の沖縄陸軍病院に看護要員として動員された。南部の戦場を逃げ惑い、重傷を負った後輩を置き去りにしたことを戦後悔やみ続けた。「生き残された者の務め」とひめゆり平和祈念資料館の建設や運営に尽力。2002年から10年まで、館長を歴代最長の約8年間務めた。

 資料館10周年を記念し、99年に鎮魂曲「交響詩『ひめゆり』」を作詞作曲した海勢頭豊さん(79)は「本村さんたちが資料館建設へ動き始めたころからの付き合い。励まされながらやってきた。つらいけれど、やなかじ(悪い風)が吹き始めているから頑張らないと」と語った。

 ひめゆり平和祈念財団の仲程昌徳代表理事(79)は「大きな柱を失ったが、今の資料館は本村さんの考えていたことが形になった」としのんだ。普天間朝佳館長(63)は「私たちは魂のバトンを渡された責任がある。ウクライナや台湾などこれまでにないほど平和が脅かされる状況で、沖縄戦のことを伝えていくんだと心に刻んだ」と強いまなざしで誓った。 (中村万里子)