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【動画】4年ぶりに復活「那覇ハーリー」 ウチナーンチュでも意外と知らない?その起源と魅力とは【WEBプレミアム】


この記事を書いた人 Avatar photo 熊谷 樹
力強いかいさばきで優勝した那覇(手前)=2018年5月5日、那覇市の那覇港新港ふ頭(大城直也撮影)

沖縄で5月の大型連休・GW最大のイベントといえば「那覇ハーリー」。毎年GW後半の5月3日~5日に那覇港新港で行われる一大イベントだ。ハーリーは航海安全と豊漁を願う沖縄伝統の行事で、海を舞台に手漕ぎ船のサバニや爬龍(はりゅう)船を使って行われる競漕だ。地域によって「ハーリー」「ハーレー」と呼び名は変わるが、一糸乱れぬ櫂(かい)さばきで海を駆ける勇壮な姿は、初夏の花形。昔から多くの人々を魅了してきた。

旧暦5月4日に実施する地域が多いが、那覇ハーリーは、観光客にも見てもらおうと一足早いGWに開催される。期間中20万人もの観客が訪れる那覇三大祭りの一つだ。そのようなGWの風物詩ともいえる那覇ハーリーも、新型コロナ禍で2020年から3年連続で中止に。多くのファンや関係者から嘆く声が聞こえていたが、ことし4年ぶりとなる開催が決まった。本番に向け熱気が高まる出場者たちの思いや、那覇ハーリーの歴史を改めてひもといていく。

(熊谷樹)

2019年の第45回那覇ハーリーで行われた本バーリー。この年は那覇が4連覇を果たした=2019年5月5日、那覇新港ふ頭

誇りと名誉をかけ

 那覇ハーリーと他地域のハーリーとの一番の違いは船だ。那覇以外は漁業用のサバニを使い、漕ぎ手10人、舵取り(かじとり)1人、鉦打ち(かねうち)1人の12人で競漕する。一方、那覇ハーリーは漕ぎ手32人に、鉦打ち、舵取り、旗振り、唄歌いなど総勢42人が長さ14.55メートル、幅2.1メートル、重さ2.5トンにもなる爬龍船に乗り込む。船のへさきには龍頭を、ともには龍尾の飾りを取り付けた3艘の爬龍船が往復650メートルの距離を競う。地域によって船の色が違い、泊が黒、那覇が緑、久米が黄色。それぞれ琉球、日本、中国を表しているという。

泊港に並ぶ爬龍船。長さは14メートルを超える

 那覇ハーリーは泊、那覇、久米による「御願バーリー」と「本バーリー」をメーンイベントに、那覇市内の中学校対抗戦と、地域や企業などによる「一般職域」対抗戦が行われる。

 イベントを通して親睦を深めることが目的のチームもあれば、1カ月以上も前から練習を重ね勝利を目指すチームも。対戦表を作るのは事務局を担う那覇爬龍船振興会。前回タイムを参考にしつつも、「航空会社VS管制官」「県内マスコミ対抗戦」「病院対抗戦」など、あえて同じ業種やライバル企業を組み合わせる「好カード」で勝負を盛り上げる。

 GW間近の週末には、爬龍船に乗っての練習のために参加者たちが泊港を訪れる。練習期間中は、船の管理や漕ぎ方の指導、最後尾で船の方向を決める舵取りを担うため、泊・那覇・久米の地元有志が10数人、ボランティアで待機しているそうだ。練習時間は1枠50分の交代制。初めて参加する中学生チームから職域の常連団体まで、顔ぶれはさまざま。しかし練習する姿はどのチームも真剣そのものだ。

 本番2週間前の4月23日午後、港に練習に訪れたのは那覇市立寄宮中学校の生徒たち。コロナ禍で3年間那覇ハーリーが開催されなかったため、全員が初参加だ。

 ▼那覇ハーリー成功祈り 関係者ら御願

爬龍船に乗り一心に櫂を漕ぐ寄宮中の生徒たち=4月23日、那覇市泊の泊港

「男女でアベック優勝を目指すぞ!」引率教諭のかけ声に元気よく答えた生徒たち。照りつける太陽の下、地元有志の指導を受けながら力一杯櫂を漕いだ。初めて爬龍船に乗ったという松山崚矢さん=3年=は「キツかったけど仲間と漕ぐのは楽しかった」とにっこり。

 その後乗船したJALスカイエアポート沖縄は、前回Aブロックで優勝した実力あるチーム。グランドハンドリング業務に携わる人を中心に選りすぐりのメンバーで、海上を力漕した。メンバーの守屋彰二さん(39)=南城市=は「3月から練習を重ねてきた。連覇を目指したい」と力強く笑った。

 練習の場は海だけではない。
平日には中学校のプールで威勢の良いかけ声が響く。那覇市立安岡中では、火曜と木曜は午前7時15分、土曜は午前10時にプールに集合し練習を重ねている。プールの縁に一列に並んで片膝をつき、鉦の音に合わせてかけ声をかけながら一心に櫂を漕ぐ。「もっと声を出して!」「全身使って!」生徒の頑張りに先生の指導にも熱がこもる。

早朝のプールで鉦の音に合わせて櫂を漕ぐ生徒たち=4月25日、那覇市銘苅の安岡中学校

みっちり30分の練習をこなした高橋とわさん=3年=は「中学に入学したら絶対那覇ハーリーに出たいと思っていた。3年生にとって最初で最後の中学生ハーリー。優勝を目指したい」と目を輝かせた。

指導に当たる伊禮寿憲教諭は「那覇市内の中学校は毎年ハーリーに参加しているので、指導できる先生は多い。卒業生やPTAも協力してくれる」と話し「楽しみながら参加してもらい、ハーリーの伝統をつなぎたい」と話し、練習する生徒たちに目を細めた。

かつては琉球王国の国家行事

 ここまで人々の心をとらえる那覇ハーリーはいつ頃始まったのか。

龍を模した船で競漕する行事は広く東アジア全般に見られ、起源は紀元前3世紀の中国・楚の政治家「屈原(くつげん)」の死を悼む行事にあるという。

 戦国時代の楚国で王の政治家・屈原は王の側近だったが、周囲の妬みを買い、都から追放された。絶望した屈原は、川に身を投じた。民は船を出し、亡きがらが魚についばまれないよう太鼓を鳴らして探したが見つからなかった。以来、命日に当たる旧暦5月5日に慰霊のために船で競漕し、竹筒に米を入れて川に投げ入れた。後に船は爬龍船となり、供物は葉に包み、ちまきになったという-。

那覇市泊にある那覇ハーリー会館。ハーリーの歴史や文化的価値を学ぶことができる

この伝説とともに、爬龍船競漕が沖縄に伝わったのは14~15世紀といわれている。その伝来については、

①中国から沖縄に移り住んだ久米三十六姓が伝えた

②南山王弟が中国留学中に見た爬龍船を造らせて、豊見城城下の漫湖で龍船を浮かべて遊覧した

③通訳の長濱太夫が中国で龍船の造り方を習い、那覇の港で競漕させた

という三つの説がある。

琉球王国時代、ハーリーは国家行事として旧暦5月4日に那覇港で行われた。かつて那覇では、いくつかの地域で競漕が行われていたが、那覇、久米村、泊村が競漕するようになった。競漕が行われる旧暦5月4日は「ユッカヌヒー」と呼ばれ、子どもの健やかな成長を願い、新しいおもちゃを買い与える風習があった。会場には玩具市も立ち並び、首里の士族も訪れるなど、多くの見物客でにぎわったという。

▼(音声ニュース)琉球新報ラジオ部 那覇ハーリー4年ぶり開催へ!台湾のハーリーはどんな様子?(3月17日)

若狭沖の那覇ハーリー風景。左の煙突は電気会社、正面はマーチューと呼ばれた松尾山の松林=戦前(那覇市歴史博物館 提供)

 1879年、「沖縄県」が設置されると琉球王国の国家行事だったハーリーは廃止。1905年に日露戦争の戦勝を祝うために行われた競漕が最後の公式行事となった。競漕に関わってきた3地域では、泊が企画して不定期に競漕を行うようになったが、1928年を最後にそれもなくなった。

ハーリー歌の伝統を守るために

 消滅してしまった泊港でのハーリーだが、泊の有志が陸上でハーリーの様子を再現し、地域内を回る「地バーリー」を始めた。地バーリーの起源は定かではないが、那覇爬龍船振興会理事の平敷兼哉さんによると、1913年の「琉球新報」には「旧暦五月四日に競漕を行い、翌五日に地バーリーと称して泊町内を漕ぎ歩き」と紹介されているという。海上でのハーリーの代わりとしてハーリー歌を後世に残すために実施されていた。

 地バーリーは沖縄戦で一時中断するが、1950年に泊の有志で復活する。とまり会青年部を中心に1989年に「泊地バーリー研究会」を結成。1991年には那覇市の無形民俗文化財に指定された。現在は年2回、地域の生年祝と敬老会で披露されている。平敷さんは「地バーリーがあったからこそ、ハーリーが中断しても古いハーリー歌の節回しが今に伝わっている」とその価値を強調する。

 ▼ハーリーの歴史詳しく 会館、展示をリニューアル

1981年開催の那覇大綱挽の市民芸能及び民俗芸能パレード。地バーリーが披露され、勇壮な姿に拍手が送られた=那覇市の国際通り
敬老の日合同祝賀会を盛り上げるとまり会青年部による地バーリー=2015年9月、那覇市泊のとまり会館

46年ぶりの那覇ハーリー復活

 1972年、それまで途絶えていた那覇ハーリーを復活させようと泊の有志が話し合いを始めた。その中で、サバニではなく古式どおりの爬龍船3隻をつくり、競漕するという案が出た。1974年、資金を調達し泊の船大工・安次富長達さんが爬龍船を建造。そして翌1975年、沖縄国際海洋博覧会を機に第1回那覇ハーリーが開催された。実に46年ぶりの開催だった。

復活した第1回那覇ハーリー。大勢の観客の歓声と指笛が響く中、競漕が行われた。第2回までは旧暦5月4日に開催された=1975年6月13日、泊港

船を造った長達さんの孫・安次富史さん(46)=那覇市真嘉比=は、11歳から爬龍船に乗り続けてきた現役の漕ぎ手だ。史さんが幼い頃に長達さんは亡くなったが、船の尾に刻まれた祖父の名に誇りを感じている。

「祖父が造った船は今も現役。祖父は地域に宝を残してくれた」と胸を張る。「勝ち負けも大事だが、それよりも後継者を育てることに喜びを感じている。ハーリー歌、御願バーリーの所作含めて引き継いでいきたい」と力を込めた。

 本バーリーを地元の手に

 琉球王朝時代から那覇ハーリーでは集落の名誉と誇りをかけた熾烈な闘いが繰り広げられた。もともと泊は地域の青年からメンバーを選出していたが、那覇と久米は鉦打ちと舵取り、旗振り等を除いて、漕ぎ手は他集落から船乗りを雇って漕がせたという。

「ハーリームンドゥ(問答)」といって、泊は競漕中、那覇と久米から嫌がらせを受け、揉めたという話も残っている。「泊では爬龍船に乗ることは誇りでもあり、決死の覚悟で参加するものでもあった」と平敷さん。その気持ちは泊のハーリー歌にも込められているという。

現在、本バーリーの漕ぎ手は、泊は「とまり会青年部」、那覇は久茂地を中心に安里、壺屋、牧志、若狭松山、久米は久米と辻の青年会が担う。彼らの多くは那覇大綱挽の旗頭にも参加している。

3チームとも3月には練習を開始。平日は中学校のプールで体力強化を兼ねた櫂さばきの練習、休日は船に乗り、戦術を練りながら漕ぎ方を工夫する。「3月から5月はハーリー一色。ゴールデンウィークなんてないよ」と笑う人も多い。

▼歴代最年少で優勝目指す 那覇「本バーリー」に出漕、泊の安次富長衛さん(那覇中3年) 親子3人「打倒那覇」に燃える

一糸乱れぬ櫂さばきで爬龍船を漕ぐ那覇のメンバー=4月23日、那覇市泊の泊港

 那覇ハーリーが復活して10数年経った頃、本バーリーに地元の人が乗船することが少なくなったという。そこには漕ぎ手を集められない、もっと早く漕げる人を乗せたいなどの理由があった。職域チームの成績上位者や企業関係者など、地元に関わりのない乗り手が伝統の衣装を身につけて本バーリーに出る。「地元の人が船に乗ってないのに知人に『優勝おめでとう』って言われる度にモヤモヤした」。地元出身者の乗船が少なかった時期にも仲間と練習を重ねていた平敷さんは振り返る。

 漕ぎ手の息子が旗振りとして船に乗り込むなど、ハーリーに関わる地元出身者が増えてきた2019年、那覇市出身で、県議、副知事などを務めた浦崎唯昭さんが会長職に就き、振興会は新体制となった。

浦崎さんは平敷さんらの気持ちを汲み、地元出身者による本バーリー復活に力を入れる。漕ぎ手が足りなかった那覇、久米は、周辺地域の青年会にも声を掛け、地元の力を結集したハーリーが本格化した。地域外に依頼していた爬龍船の管理もそれぞれで担うことになった。櫂作りや船のメンテナンス、中学生・職域の指導もみんなで行う。青年会の先輩に誘われて参加する若手も増えていった。

新体制になった翌年から新型コロナ感染防止対策で3年連続で那覇ハーリーは中止となっている。浦崎さんが会長職に就いてまだ1度も那覇ハーリーは行われていない。「今回が新体制になって初の那覇ハーリー。中には初めて漕ぐ人もいる。課題もあるが、今のほうが伝統を守っているという実感がある。地元の手で伝統をつなぎたい」。噛みしめるように平敷さんは語る。

600年の伝統を受け継ぎ未来に伝えるー。“4年ぶりの開催“ だけではない決意を胸に、櫂を握る。

https://www.youtube.com/watch?v=2NDnwr9CKDA