台湾の人々の中には、中国の侵攻に備えるため、沖縄の米軍基地が必要と考える人は少なくない。親米・親日的な台湾独立論の主流をなす観点でもある。そのような考え方と一線を画すのが、台湾政府直轄の研究機関「中央研究院台湾史研究所」の呉叡人(ウールウェイレン)さん。呉さんは米軍基地があるが故に被害を被っている沖縄の人たちに思いをはせ、その犠牲の上に成り立つ台湾の平和は「利己主義だ」と指摘する。
著書「台湾、あるいは孤立無援の思想―民主主義とナショナリズムのディレンマを越えて」(2021年、みすず書房)で、「この利己主義の立場こそ、世界で帝国のはざまにあるすべての弱小民族の悲劇の根源である」と述べ、大国のはざまで「悲劇の循環を乗り越える」ため、「こうした利己主義の立場を放棄しなければならない」と呼びかけた。
台湾の人々は1987年まで国民党政権下で戒厳令に置かれ、言論や自由を封じられた。戦後、米ソ冷戦構造下で台湾と共に“反共の防波堤”とされ、沖縄の人の人権が奪われたことに共感を寄せる呉さん。
「私はたとえ困難な状況におかれても沖縄人を犠牲にしてはいけない、と公に発言した数少ない学者だ。戦争の話になると、沖縄のことを考える余裕がなくなる。こういう時こそ、このような声が台湾の中にあるべきだと信じる」と話す。
一方で、中国による台湾侵攻を強く懸念する。台湾の軍備強化はその抑止のため、必要性を認める立場でもある。「強い側に助けてもらいたいという、台湾の立場も分かってほしい」との気持ちも吐露する。
台湾の多くの人が近い将来、戦争になると思っていないものの、呉さんは“自衛意識”が静かに内部で高まりつつあるとみる。民間人が射撃や救命救急などを学ぶ民間講座の広がりを例に挙げる。
「台湾有事」を巡る沖縄の懸念も把握する。だからこそ“非軍事”による平和を求める沖縄の声に対し、理想と現実のはざまで葛藤を見せる。「どうすればいいのか、沖縄の友人たちに誠意を持って聞きたい。戦争に反対することと、自分を守ることは、どうすれば両立するんですか」
呉さんは戦争回避に向け、「説得力のある論証が必要だ。みんなで探さなければ答えは見つからない」と話し、東アジアで国や地域を超え、市民社会が深い対話を重ねていく必要性を提起する。
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ウー・ルウェイレン 1962年、台湾桃園生まれ。台湾大学政治系卒、シカゴ大学政治学博士、早稲田大学客員研究員などを経て、中央研究院台湾史研究所副研究員。比較歴史分析、思想史、文学、哲学などに精通する。
(中村万里子)