<書評>『戦後沖縄史の諸相-何の隔てがあろうか』 矛盾の地を過去にしない


社会
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『戦後沖縄史の諸相-何の隔てがあろうか』 齋木喜美子編著 関西学院大学出版会・2200円

 本書は戦後沖縄の「隔て」を検証し、原因や理由を解明した貴重な本だ。沖縄を過去にしない。自明にしない。今なお矛盾の地であり続ける沖縄を手放さない。編著者が検証する沖縄の戦後史は今を生きる私たちのそれぞれの場の発見にもつながるものだろう。

 沖縄は先の戦争で多くの犠牲者を出した。さらに戦後の27年間は亡国の民となる。1972年に日本復帰したものの米国民政府の軍事優先政策下で、ないがしろにされた人権や日本本土との格差は容易に解消されなかった。本書の執筆者たちはそれらを「隔て」と呼ぶ。副題に「何の隔てがあろうか」と名付け静かな怒りを抑えている。

 本書の魅力は、実証的であること、引用される文献が豊富であること、そして「隔て」の原因を難解な文体ではなく謎解きのようにスリリングな読み物として展開してくれたことだ。

 本書の構成は4人の大学人研究者の専門分野における「隔て」と「この本を読むためのガイド」として付記された1研究者のコメントから構成されている。

 第1章は「日本の医療援助にみる米国施政権下の琉球―同胞意識は隔てを埋めたのか」(泉水英計)、第2章は「戦争体験を語り継ぐ視座―児童文学は『ひめゆり』の物語をどのように伝えてきたか」(齋木喜美子=本書の編著者)、第3章は「歌が途絶えることの意味・復活することの意味―ある音楽教諭の思想と実践」(三島わかな)、第4章は「漫画・たばこと私」(喜久山悟)、そしてガイドは近藤健一郎が務めている。

 第1章では、目の前の患者の命よりも日米両政府のメンツや外交関係が重視されたのではないかと鋭く指摘する。第2章では「ひめゆり」の物語がどのようにして児童文学に定着していったかを明らかにする。添付された「ひめゆりの物語に関する書誌一覧」は労作だ。第3章は、文化を継承する一つの例であろうが、同時に大きな問題提起になっている。第4章は親族の沖縄戦体験を漫画で表現した。いずれの章も余韻の残るインパクトがある。

(大城貞俊・作家)


 齋木喜美子氏(関西学院大教授、うるま市出身)が編著を務めたほか、泉水英計(神奈川大教授)、三島わかな(沖縄県立芸大非常勤講師)、喜久山悟(熊本大大学院教授)、近藤健一郎(北海道大大学院教授)の各氏が執筆した。