評論家の古谷経衡(つねひら)氏(1982年生まれ)は、筆者が注目する若手評論家の一人だ。古谷氏の論壇での活動は、当初、ネット右翼系と親和性が高かったが、強靱(きょうじん)な思考力により右翼イデオロギーを脱し、実証性とヒューマニズムに基づいた評論活動をしている。
古谷氏は、沖縄が他の日本の地域と民主主義理解が異なる原因が太平洋戦争終結の姿にあったと考える。
<戦前の日本は約7割が郡部に住んでいたことは述べた。郡部の生産力は青年層の出征と空襲による物流停滞・資源の不足によって相当低下していたが、都市部ほどのダメージを被ったわけではない。大量の陸軍がそのまま武装解除されたこと。郡部で生産力が辛うじて温存されたために、それをテコにして敗戦後の応急復興が企図されたこと。農村部のダメージが少なかったからこそ、敗戦後の大量餓死は起こらなかった。日本の戦争終結の姿は、他の枢軸国とはまったく異なっている。
唯一の例外は沖縄である。沖縄は沖縄戦で約10万の兵士・軍属が死に、更に約10万の民間人が戦死した。沖縄戦で沖縄のインフラは徹底的に破壊され、沖縄戦終結時点で健全な住宅は戦前の1割にも満たなかった。地上戦により貨幣経済も崩壊して、米軍収容キャンプから始まった戦後の沖縄は物々交換の原始経済からスタートを余儀なくされた。戦前の沖縄における支配層の利益は、戦災ですべて破壊された。戦前の沖縄は少ないながらも軽工業があったが、戦後は輸入経済(商社・輸入雑貨商)が寡占した。なぜなら、沖縄戦により戦後の沖縄の経済構造は米軍軍政下で「B円」が導入されたことにより、固定されたB円高レートで本土の物資を安く買うことができたからである>(古谷経均「シニア右翼 日本の中高年はなぜ右傾化するのか」中公新書ラクレ、2023年、276頁)
米軍の軍票B円が使われたことにより、沖縄の製造業の基盤が崩されたという指摘はその通りと思う。古谷氏は沖縄では民主主義的自意識が確立されていることを高く評価する。
<沖縄のあらゆる戦前体制は沖縄戦により消え去り、政治体制も琉球政府と米軍軍政との権利獲得の闘いの様相を呈した。戦前と戦後が完全に断絶された日本国土の例は、沖縄が唯一である。現在でも沖縄で反米軍基地運動が盛んで、永田町中央の姿勢に批判的なのは、徹底的な戦災により戦前の体制を戦後に持ち越すことができず、確固とした戦争の反省と米軍軍政との権利闘争の中で強烈な民主主義的自意識が確立されたからだ。天変地異の一種として戦災をとらえ、だからこそ戦争の反省が不十分で、戦後もなんとなくの民主主義を受容してきた本土の意識と沖縄が異なるのは、こうした戦争の終盤における歴史的原体験が大きく作用している。沖縄が特殊なのではなく、本土の戦争経験の方が特異なのである>(同276~277頁)
古谷氏の分析は正しいと思う。沖縄の民主主義は、勝ち取った民主主義だ。沖縄人の方が日本人よりも民主主義を自らの行動基準として身体化しているのだ。日本で古谷氏のような認識を持つ有識者が増えることが、沖縄人と日本人の真の相互理解のために重要と思う。
(作家・元外務省主任分析官)