ユンヂチ 負担や制限話す機会に 真栄田若菜(一般社団法人IAm(アイアム)共同代表理事)<女性たち発・うちなー語らな>


この記事を書いた人 Avatar photo 琉球新報社
真栄田若菜

 4月末、亡き祖父と母が眠っているお墓で清明祭(シーミー)をした。10代、20代の頃は、清明祭やお盆のようなジェンダー・バイアスが色濃く残る先祖供養のイベントが苦手だった。男性陣が座ってビールを飲む間、母や叔母らと料理の準備や後片付けを行い、つかの間の休憩中に台所でおかずをつまみながら、女性に偏る不均等な家事の負担に大きな違和感を抱くばかりで、行事の重要性はあまり感じられなかった。

 30代に入り祖父や母という身近な存在の家族が他界すると、大切な亡き家族を思い、その存在を身近に感じられ、仏壇行事の大切さを実感できるようになった。仏壇行事は感謝の気持ちを伝えたり、悩みや願いを聞いてもらったり、近況を報告したりと、亡き家族と対話する心のよりどころとしても大きな存在なのだと気づいた。

 沖縄の仏壇行事のしきたりや継承には、性別に基づく役割分担が依然根強く残る。長男や血縁の男性によって先祖代々継承されるという伝統が残っているところもまだあるため、男性の中にも「長男」という理由だけで、沖縄に残り、仏壇を継ぐということに精神的負担や制限を感じている人もいるだろう。

 しかし、このような負担や制限について家族と話し合う適切な機会を捉えるのは難しいと感じる。これらを感じる場面が、親戚が集い、先祖を思う大切な機会で、お墓や仏壇の前であることが圧倒的に多い。そこで負担や制限を口にすることは、親戚が集い、先祖を思う大切な場を一気に不穏な雰囲気にしてしまう、ある種の「タブー」だと感じてきた。

 今年はユンヂチ。ユンヂチは神様の目が届かないため仏壇行事の伝統やしきたりにとらわれることなく、お墓や仏壇ごとを進められる時期とされている。ユンヂチが仏壇行事のタブーがある程度許容される時期なのであれば、これまでお墓や仏壇の継承や行事に関して負担や制限を抱えていた人にとっても、今後これらをどう進めていくか、今まで踏み出せなかった話し合いを始めるにも良い機会と捉えてもいいのではないだろうか。

 少子化が進む現代において、家族の在り方、ライフスタイル、価値観も多様化する中で、一部の家族が仏壇行事のしきたりや役割分担に負担や制限、違和感を抱きながら、それらをそのまま次世代に継承させることは、将来どこかで無理が生じてしまう。そんな沖縄の家族が話し合いによって負担や制限の解決策を見いだし、未来に向けて合意形成ができるきっかけとなるユンヂチとなってほしい。