米軍が与那原町を制圧した日はいつ? 戦跡巡り、当時に思いはせ 80歳の平和ガイドが戦後の課題も伝える 沖縄


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与魂之塔の前で津多則光さん(右手前)の説明を聞く参加者ら=14日、与那原町

 【与那原】与那原町は14日、沖縄戦研究者で沖縄平和ネットワーク会員の津多則光さん(80)を講師に招き、町内の戦跡を巡る平和学習を実施した。町内外から小学生~70代の25人が参加し、沖縄戦があった当時の状況について理解を深めた。

 町は2011年に沖縄戦で米軍が与那原町を制圧したとされる5月21日を「与那原町民平和の日」に制定した。戦跡巡りは同日に関連した町の平和祈念事業の一つ。

 参加者は配布された資料にある地図や写真などを参照しながら、激戦地となった運玉森や与原区にある慰霊塔「与魂之塔」、板良敷の陸上から魚雷を発射する指揮所跡などを回った。町役場の展望台では、現在の町並みを見渡し、戦争で焼け野原となった当時の町の写真と見比べた。

 津多さんは町内が焼け野原となったため、戦後地籍が分からなくなり30年ほど混乱が続いたことも説明。「日本の敗戦によって施政権が米軍に移り、住民の権利が剥奪された。本土復帰後も問題が残り、沖縄戦はまだ続いている」と話した。

 与那原小学校で平和教育を担当する平良爽華さん(23)は「運玉森での戦闘の資料を見ると、日本軍が米軍にどんどん攻められて、与那原の住民も戸惑いながら一生懸命逃げたのかなと想像した。子どもたちには、みんなのひいおばあや、ひいおじいがいたかもしれないよ、と戦争当時のことを伝えていこうと思った」と話した。
 (上江洲仁美)