「こどもまんなか社会」で「なんでもない時間」を 廣瀬真喜子(沖縄女子短期大学・児童教育学科教授)<未来へいっぽにほ>


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 休日の夕方、年長児くらいの3人の子どもたちが、所々土も見え、草も生えている小高い斜面を島ぞうりで駆け下りている姿を見かけた。少し近づいてみると、何やら話をしては斜面を上り下りしている。見ていると危なっかしいが、なぜかほっとして、うれしかった。何気ない遊びの時間がここにあって、時間がゆっくり流れている。

 幼い頃は、遊ぶことばかり考えていた。近所の子どもたちと朝から晩まで本当によく遊んだし、おなかがすけば近所のおばちゃんが何かくれたし、空き地や道路で気が済むまでおにごっこやままごとをしていたものだ。地域の中で自分がやりたいことをしても許される、自由観に基づく「なんでもない時間」を、今の子どもたちは保障されているのだろうか。

 大人中心の生活は、どうしても時間に追われてしまい、子どもに「させる」「急がせる」ことを強要しがちだ。もちろん、そのような場面も必要である。しかし、わが身に置き換えた時、1日の中のほとんどがそのような時間だったらどうだろう。

 今年4月にできた「こども家庭庁」のスローガンは「こどもまんなか社会」。これは、社会全体で子どもを支えるというものだ。幼い頃に地域に育てられた記憶は原体験となり、大人になっても残る。社会の変化とともにとも働き家庭や核家族も増え、冒頭の子どもたちのように、まちのいたるところで子どもたちが遊ぶ姿が見られることは少ない。だからこそ、保育所・幼稚園・こども園などの就学前施設は地域の真ん中に位置付けられて、子ども中心の保育を核にして学校ともつながり、子どもの「なんでもない時間」を保障する場であってほしいと私は考える。