元学徒らに深い悲しみ、負い目 沖縄戦の記憶継承プロジェクト ひめゆり資料館長が紹介 那覇市


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女子学徒の戦場動員について話す、ひめゆり平和祈念資料館の普天間朝佳館長=27日、那覇市の琉球新報社

 「沖縄戦の記憶継承プロジェクト―戦争をしない/させないために」(同プロジェクト実行委員会主催)の第4回講座が27日、那覇市泉崎の琉球新報社で開かれた。糸満市のひめゆり平和祈念資料館の普天間朝佳館長(63)が「女子学徒の戦場動員」をテーマに講義し、二度と沖縄を戦場にしないという思いで悲惨な戦争の実相を伝えることにこだわった元学徒らの思いを紹介した。約20人が参加した。

 沖縄戦では、九つの旧制中等学校と師範学校女子部の学徒が、法的根拠がないまま看護要員として動員されたとされる。

 師範女子部と県立第一高等女学校の「ひめゆり学徒隊」は生徒222人が動員され136人が戦死した。沖縄の第32軍の持久戦方針により、部隊と行動を共にした女子学徒らの犠牲も拡大した。

 ひめゆり学徒隊は1945年6月18日に解散命令を受け、19日に米軍の猛攻撃にさらされた。戦死者の8割が解散命令後に集中する。普天間さんは女子学徒隊でも「積徳学徒隊」の解散命令が、沖縄戦の組織的戦闘が終結した後の26日で、隊長が「親元へ帰りなさい。決して死んではいけない」と訓示し、動員による戦死者が3人にとどまったことに触れ、「歴史に『もし』はないが、ひめゆり学徒がこれほど犠牲にならない方法もあったのでは」と指摘した。

 元学徒らは戦後、深い悲しみと負い目を抱き、資料館建設に尽力した。元学徒らをそばで見続けた普天間さんは「殉国美談的に伝えられる戦争が、実際にはいかに悲惨だったか、学友らが無念の思いで亡くなっていったか、戦争の実相を若い人たちに伝えていかなくてはならないという思いだった」と振り返り、「沖縄を戦場にしない思いを心に刻んで伝え続けたい」と語った。

(中村万里子)