弾圧、抵抗の歴史共有 副知事 済州「4・3平和公園」視察


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4・3事件の犠牲者の刻銘碑を見る照屋義実副知事(左)ら=3日、済州特別自治道

 【韓国・済州島で知念征尚】訪韓中の照屋義実副知事は3日、済州島の名峰・漢拏(ハルラ)山のふもとに立つ、75年前の住民虐殺事件の犠牲者を刻む「済州4・3平和公園」を視察した。沖縄の平和の礎を参考にしたとされる刻銘碑を視察した照屋副知事は「悲痛な経験を持ち合わせる者同士、全力を挙げて平和のともしびを掲げ、希望に向かって歩む」と語り、多くの死傷者を出した歴史を共有する世界の都市と連帯して平和構築に取り組む決意を示した。

 公園名の由来となる「4・3事件」は、1948年に米軍政下の済州島で起きた、軍や警察、武装隊などによる島民虐殺事件を指す。

 済州島は日本の敗戦によって解放された直後から3年間、米国陸軍司令部軍政庁の直接支配下に置かれた。島民らは、東西冷戦下で朝鮮半島を分断しようとした米軍の動きに抵抗。治安維持名目で約6年にわたって虐殺が行われた。済州島に「共産主義」のレッテルを張った米軍の指示があったとされる。

 照屋副知事は、戦争に端を発した出来事だったことや、現在も苦しむ人がいる点など「沖縄と相通ずるものがある」とした上で「平和に向けて共に取り組む」と語った。

【用語】4・3事件
 日本の敗戦で植民地支配から解放された朝鮮で、1948年4月3日、米軍政下で実施された韓国だけの単独選挙を巡って朝鮮の南北分断に反対する済州島住民が武装蜂起。東西冷戦下で米ソによる朝鮮分断が本格化することに対する抵抗運動だったが、軍や警察は鎮圧名目に住民を虐殺、54年ごろまでに3万以上が殺害されたとされる。2003年に韓国の盧武鉉(ノムヒョン)大統領が初めて謝罪を表明した。