「父に会える場所」旧海軍壕で慰霊祭「沖縄県民かク戦ヘリ」打電した信号室を新たに展示 豊見城


この記事を書いた人 Avatar photo 琉球新報社
沖縄戦当時の無線装置の再現模型などが新設された信号室を見学する荒川恒光さん。父・一登さんは、この壕で自決したとみられる=13日、豊見城市豊見城の旧海軍司令部壕

 【豊見城】豊見城市豊見城にある旧海軍司令部壕の第53回慰霊祭が13日、同壕で開かれた。壕を整備・管理する沖縄観光コンベンションビューロー(OCVB)主催。コロナ禍を経て4年ぶりに関係者を招き開催され、参列した遺族らは献花して戦没者を追悼した。展示物の充実を進める同壕では信号室の展示を新設、同日から公開した。同壕から「沖縄県民斯(か)ク戦ヘリ」という司令官の電文を打電したとされる通信士の息子、荒川恒光さん(84)も信号室を見学した。

 慰霊祭でOCVBの下地芳郎会長は「この壕で亡くなった全ての御霊(みたま)の冥福を祈るとともに、人類の願いである世界の恒久平和を、この壕から発信し続ける」と追悼の言葉を述べた。その後、那覇市立宇栄原小学校6年生の代表35人が平和の詩を朗読し、代表の久田友葵さん(11)が千羽鶴をささげた。

4年ぶりに遺族関係者を招いて開催され、約170人が参加した第53回旧海軍司令部壕慰霊祭

 壕の新設展示も紹介された。信号室には、当時の無線装置の複製模型や通信室の様子を伝えるイラストを新設した。信号室を訪れた荒川さんは、1945年6月6日に司令官の電文を打電したとされる父・一登さんに思いをはせた。生存者の証言から信号室には3体の遺体があり、その一人が一登さんとみられるが、遺体は見つかっていない。

 荒川さんは「ここに来ると、父がいるという気持ちになる。父に会える場所だ」と話す。展示物が充実した信号室を見て「父も使っていた機器が再現されて、父がここでやっていたというのが思い浮かぶ」と語った。
 (岩崎みどり)