沖縄県庁“1期生”が自分史 1972年入庁の久高さん 世相や時代の移り変わりを鮮やかに 金武町


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沖縄県庁職員の1期生で自身の半生をまとめた久高栄一さん=6日、金武町

 【金武】行政書士で、元県庁職員の久高栄一さん(75)=金武町屋嘉=はこのほど、自身の半生をつづった自分史「顧みて今を生きる」を発刊した。沖縄戦の終戦後に生まれ、沖縄が日本に復帰した1972年に入庁した「県庁1期生」の一人。戦後の黎明(れいめい)期から復帰前後、現在までの実体験を書き記した「ノンフィクション本」(久高さん)は、時々の世相や時代の移り変わりを鮮やかに切り取っている。

 1947年に本部町崎本部で生まれた久高さんは、かつて沖縄市にあった国際大学英文学科を卒業後、県庁へ入庁した。本では、小学校時代に、沖縄が日本の施政権下から切り離されたサンフランシスコ講和条約を祝う音頭を歌った経験も記されている。米施政権下にありながら、歌われた「バンバン万歳万国旗」という歌詞に対して、久高さんは「笑っても笑われない話」と振り返り、今でも抱える強い違和感をつづった。

 父・栄造さんの、貧しさから戦前に「糸満売り」され、後に漁師として働いて船長となって本部へ戻った体験や、崎本部地域の漁師への聞き取り調査をまとめた章にも多くのページを割いた。兄の良夫さんを沖縄戦で亡くし、遺骨が戻らない中で抱えた家族の葛藤を、当事者として見つめた。「まだまだ多くの遺骨が残る中、戦後処理も十分にされないままの沖縄。沖縄に基地を詰め込んで、再び本土の捨て石。絶対お断りします」と基地の過重負担が続く現状に対して訴えた。

 久高さんは「幼い頃の遊びの話から、自分の思いまで、整理は下手だが本当のことを書き残しておきたいと思った」と自分史をまとめたことへの思いを語った。自分史は自費で50部発刊し、親類やお世話になった人へと届ける予定だ。
 (池田哲平)