今年新たに平和の礎に刻銘された人の中に、1945年8月11日に久志村(現名護市)三原の山中にあった避難小屋でマラリアに感染し、自宅で亡くなった上里正明さん=当時3歳=の名がある。昨年刻銘された兄弟の幸健さん=当時4歳=と幸好さん=当時2歳=に続き、戦後78年を経て親族らの積年の思いが果たされた。戸籍が戦火で失われたために申請を諦めかけていたが、数年前に刻銘の要件緩和の情報を知り申請した。
兄の幸安さん(85)は「大変うれしい」としつつ「戦争がなければ3人とも元気でいれた。何とも言えない」と亡き弟らを悼んだ。
正明さんは42年に三原で生まれ、45年4月ごろから約3カ月間、自宅から2キロほどの山奥にあった避難小屋で過ごした。小屋は多野岳で炭焼きをしていた父幸次さんらが米軍からの攻撃を想定し、親族の避難先を確保するために建てた。戦況が悪化する中、父は伊江島に出兵し正明さんは母ナビさんや兄弟、近隣に住んでいた親族らと小屋に避難した。
幸安さんによると、小屋は川の土手に複数棟あり、谷間で木が生い茂っていたため寒かったという。家族全員がマラリアに感染し、3人の弟は引き揚げ先の自宅で後を追うように亡くなった。
親族らも罹患(りかん)していたため、正明さんに関する記憶はほとんど残っていない。平和の礎にはすでに10人ほどの親族の名が刻まれており、上里家では毎年礎を訪れてきた。正明さんの刻銘を申請したおいの幸秀さん(64)は「(取り残されていた)叔父さんも生きていたという証しになる」と思いを語った。
(西田悠)