黒煙を上げながら、海岸に積み上げられた木々が燃える。その真っ赤な炎に手のひらほどの胎児が包まれていた。ボン!と響く破裂音に思わず目を伏せる。「瓶に入れられていた赤ちゃんを燃やした光景と音は今も目と耳に焼き付いている」。本島北部に住む80代の女性は、声を絞り出すように語り始めた。女性は名護市済井出の国立(ハンセン病)療養所・沖縄愛楽園の元職員だ。1980年頃に同園で行われた「胎児標本」の火葬を初めて報道に証言した。
■検査室の片隅に保管されていた瓶 火葬後に治療棟建て替え
国はかつてハンセン病を「国辱」とし「子孫を残してはいけない存在」におとしめた。愛楽園も含めて全国の療養所で入所者に断種・堕胎を強制した。療養所の基本理念は患者の隔離と絶滅だった。入所者の出産はほぼ認めず、断種・堕胎は繰り返されてきた。堕胎された胎児の中には「標本」としてホルマリン漬けにされ、療養所で保管された子もいた。
女性は1950年代に愛楽園で働き始めた。結婚を機に退職したがその後復職し、90年代に退職した。「園では入所者の方に本当にお世話になった。一緒にバレーをしたり遠足に出たり。楽しい思い出も多い」と振り返る。
胎児の火葬は1980年頃に、園の南東に位置する砂浜で行われた。強制堕胎された赤ちゃんを入所者自らが埋葬していた場所でもあった。「アダンやモクマオウの枯れ木が高く積まれていて。職員の一人が赤ちゃんを置いて火を付けた」。火葬を終えたお骨は、園内の納骨堂に納められた。
火葬されるまでその赤ちゃんは瓶に入れられ、園内治療棟2階にあった検査室の片隅に保管されていたことを覚えている。火葬が園の指示だったか、職員個人の判断だったのかは分からない。火葬後に治療棟は建て替えられた。
何体が保管されていて、すべて火葬されたのか。思い出そうとしてももう浮かばない。「ただただ怖くて、きちんと見られなかったから」。申し訳なさそうにつぶやいた。女性にとって、当時見た炎の色や煙、においは今も記憶から消えない。
「40年、口に出せなかった。鍵をかけた。お世話になった入所者の多くが先立って逝かれた。もっと早く口を開くべきだった」
■2000年代になり明らかになった「胎児標本」の存在
ハンセン病療養所での胎児標本の存在は2005年、初めて明らかになった。強制隔離政策など国の誤りを認めた熊本地裁判決(2001年)を受け、厚生労働省が原因究明などを目的に設置した第三者機関・ハンセン病問題検証会議が、沖縄を除く全国6カ所の療養所と施設で計114体の胎児標本が存在すると公表した。
標本の作製時期は1924~56年ごろ。体長などから29体が妊娠8カ月を超えており、うち16体は36週以降に生まれたと推測された。検証会議は出産後に療養所職員らに殺害された可能性にも言及している。
愛楽園でも入所者が胎児標本や切断された手足の標本を目撃し、その存在を証言している。だが、検証会議の調査ではとうとう確認できなかった。
■資料なく実態は今も不明 証言は子の生きた証し
入所者は断種で人としての尊厳を奪われ、堕胎でわが子を殺された。国から妊娠は罪で恥ずべきものと思い込まされた。今も、わが子を守ることができなかった罪悪感を抱えながら暮らし、自らの経験を語ることができない入所者や回復者も多い。
沖縄愛楽園交流会館によると胎児や手足の標本に関する職員側の証言はほとんどなく、資料も残っていない。標本の数や行方など詳細な実態は、今も不明のままだ。
同館の鈴木陽子学芸員は女性の証言について「存在しない、行方不明とされてきた子どもたちが確かに存在したことを明らかにした。その子とその父母の存在証明でもある」と指摘した。
愛楽園内に2007年、生まれることを許されなかった赤ちゃんたちを慰霊する「声なき子供たちの碑」が建立された。元職員の女性はたびたび訪れ、線香を上げる。「あんなこと二度とさせないと、あの子にいつも祈っている」
(佐野真慈)
【ニュース用語】ハンセン病問題
ハンセン病は抗酸菌の一種であるらい菌の感染で、菌に抵抗力のない人がまれに発病する慢性感染性疾患。感染力は弱く遺伝性もない。国は医学的根拠がないまま患者の強制隔離政策を推し進めた。1943年に治療薬が開発され治療法が確立した後も隔離は続き、患者は断種・中絶の強要といった人権侵害や差別を受けた。隔離政策は1996年のらい予防法廃止まで続いた。回復者が国の謝罪、名誉回復などを求めて起こしたらい予防法違憲国家賠償訴訟で熊本地裁は2001年に隔離政策を違憲と判断、原告側の全面勝訴とした。国は控訴を断念し、謝罪した。2019年のハンセン病家族訴訟でも、同地裁は回復者の家族が受けた差別被害について再び国の責任を認め、賠償を命じた。
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