那覇市繁多川にお住まいの池原盛憲さん(88)から戦争体験記をいただきました。池原さんは読谷村楚辺の生まれで、沖縄戦の時は家族と共に疎開先の国頭村の山中をさまよいます。
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池原さんは1935年4月、農業を営む父の蒲蔵さん、母ミツさんの三男として生まれました。2人の兄と姉、妹がいました。沖縄戦前年の44年、弟が生まれます。
楚辺は農村地域でした。
《道路の両側の畑は、季節のいろいろな作物が栽培されて、荒れ地など見あたらなかった。実にのどかな農村の風景だった。》
池原家は約5千坪(約1.6ヘクタール)の畑がありました。「楚辺ではクラガーというおいしいイモやサトウキビ、雑穀を作りました」と池原さんは語ります。
42年、古堅国民学校に入学します。
《読谷村楚辺の新入生は二十数人だった。その顔ぶれに感動し、国民学校入学の不安は消え、希望に胸が弾んだ。戦前の田舎の暮らしはほとんどの家庭が貧しく、新入生の華やかな準備とてなく、ランドセルや学用品などは全部兄たちのお下がりだった。
喜び勇んで国民学校に入学し、学期を追うごとに環境にも慣れていった。運動会や学芸会など楽しく過ごし、友達も増えた。1年はあっという間に終え、平和そのものの年が暮れた。》
その平和は長くは続きませんでした。
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2019年10月に始まった「読者と刻む沖縄戦」を再開します。読者のお便りを元にさまざまな沖縄戦体験を紹介します。