ツルさん、きくさんの思い胸に 沖縄戦体験の継承 「後輩」ら誓い新たに


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高校の活動で元白梅学徒隊の中山きくさん(左)と写真に納まる新垣ゆきさん=2004年5月(新垣さん提供)

 太平洋戦争末期の沖縄戦を生き延び、戦後は体験の継承活動を先導してきた元ひめゆり学徒隊の本村ツルさん=享年(97)=と、元白梅学徒隊の中山きくさん=享年(94)=が今年、相次いで他界した。2人の思いを引き継ぐ人たちは「戦争の悲惨さや平和の尊さを伝え続ける」と誓いを新たにしている。

 本村さんは1945年3月、卒業目前で沖縄陸軍病院に動員され、伝令や負傷生徒の救護に当たった。戦後はひめゆり平和祈念資料館の建設に力を尽くし、2002年に館長に就任した。

 「本村さんはひめゆり生存者の精神的支えだった。記憶の継承にも人一倍心を砕いた」。同資料館の現館長普天間朝佳さん(63)は振り返る。

 資料館では元学徒隊の「証言員」が体験を伝えていたが、本村さんは生存者がいなくなる将来を見据えた。証言映像を撮影し、戦後生まれの「説明員」の採用を05年に開始。「若い職員とうれしそうに話していた。ほっとしたんだと思う」

 一方、中山さんは16歳で白梅学徒隊に入隊。沖縄戦では砲弾が飛び交う県南部をさまよった。戦後しばらくは自身の体験を話せずにいたが、原爆被害を伝える広島や長崎の被爆者を見て語り部となることを決意した。

 那覇市の会社員新垣ゆきさん(36)は高校2年生で中山さんと出会い、白梅学徒隊の「後輩」になると宣言。20年にわたり交流してきた。19年2月、中山さんに「私たちは先が短い」とバトンを託された。20~50代の男女9人で、元学徒による活動を引き継ぐ「若梅会」を立ち上げ、慰霊祭や白梅之塔の管理を担っている。

 新垣さんは「きくさんは語らないと同じ過ちを繰り返すとの思いが強かった」と話す。「個人にもできることがある。見聞きした戦争の話を身近な人と共有し、家族で話してほしい」。小さな積み重ねが平和につながると信じている。

(共同通信)