【読谷】読谷村の古堅南小学校で20日、平和集会が開かれ、沖縄戦体験者の山城ウメトさん(101)=読谷村=が講演した。戦争当時は23歳で妊娠していた。日本兵からは「殺されるより自分で死になさい」と指示され、必死で家族と逃げ惑ったという。山城さんの体験を4年生から6年生までの約300人が聞いた。
山城さんの住む読谷村は、米軍の沖縄本島上陸地点となった。米軍上陸に備えて避難するために両親と別れ、3歳の妹と5歳の弟を連れて北部へと避難した。その時に山城さんは妊娠7カ月。背中に妹、頭に食料を乗せ、弟と手をつないで逃げた。旧羽地村(現名護市)の山奥へ避難し、空襲と艦砲射撃で「下から上からヒューバンと音がした」と当時を思い出す。
北部でも爆撃が激しくなり逃げ惑う中、うるま市石川の辺りで米軍に捕らわれた。米兵から食料を渡されるも「毒が入っていると言われていた」と話す。米兵が食べる姿を見てようやく口にできた。
児童から「日本兵にはどんなことを言われたのか」と質問があった。「米兵に殺されるなら自分で死になさいと言われていた」と話した。日本兵が入るために、壕から追い出されたこともあるという。
「おなかにいた赤ちゃんはどうなったか」との質問には「集落に下りてから産んだから助かった。運が良かった」と当時の状況を語った。
講演を聞いた6年生の児童は「戦争はつらくて苦しいものだと分かった。二度としてはいけないと思った」と感想を述べた。
(金盛文香)