学童疎開の手記、36年越しに発刊 首里第二国民学校の体験者「沖縄楢木野会」


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首里第二国民学校の元学童らの記録集を完成させた玉城盛松さん(左)と妻のよし子さん=19日、那覇市

 首里第二国民学校(現在の那覇市立城西小学校)の学童疎開体験者らでつくる「沖縄楢木野(ならぎの)会」はこのほど、学童疎開記録集「五丈の松と大いちょう」を発刊した。米潜水艦に撃沈された対馬丸と同じ船団などで集団疎開した。熊本・阿蘇での疎開体験や思いがつづられている。

 会発足は1987年。会員から手記を集め、編集を進めてきた。5人の編集委員のうち3人は16年までに死去。最年少だった玉城盛松さん(85)が中心になり「手記を書いた方々の思いを後世に伝えなければ」と妻のよし子さん(79)と編集に取り組んだ。

 玉城さんは「一番困ったのは、引き揚げ日の確定だった」と話す。県公文書館で調べ、46年10月12日に長崎をたち15日に沖縄に到着したと確定。会発足から36年越しに発刊にこぎつけた。タイトルは、首里にあったマツと熊本のイチョウの木から名付けた。

 B5版327ページ。500冊印刷し、那覇市内の教育機関や県内の図書館などに配布する。阿蘇の関係先にも送りたいとしている。問い合わせは玉城さん、電話098(885)3239。 (中村万里子)