八重瀬町の野原良充さん(86)は、4人きょうだいの兄・良照(よしのぶ)さんと姉・清子(きよこ)さんを沖縄戦で亡くした。親戚の3家族も一家全滅した。「沖縄戦は住民の4人に1人が亡くなったと言われるが、私の周りはそんなものではなかった」と、平和の礎に刻まれた家族の名前を前に体験を語った。
戦時中はきょうだいと父母の家族6人で南部の山中を逃げ惑った。行く先々で日本軍から壕を追い出され、安息できる時間はなかった。
11歳だった兄は、夜中の移動中、米兵に撃たれて死亡した。大腿(だいたい)骨が折れ、洋服は血だらけになっていた。
その後、壕に隠れていたところ、米兵に手榴弾(しゅりゅうだん)を投げ入れられ、破片が9歳だった姉の眉間に直撃した。その姉は数カ月後に亡くなった。おじらの家族も相次ぎ全滅し、平和の礎の八重瀬町の一角には多数の野原姓が並んでいる。
兄と姉は遺品がなく、生きた証しは礎の名前のみだ。「私が話さないと、この悲劇は伝えられない」と強調し「米軍も自衛隊も、戦争に関わるものはすべて沖縄にあってはならない」と力を込めた。
(稲福政俊)