沖縄戦当時9歳だった知念米子さんの名前が、糸満市の平和の礎に追加刻銘された。那覇市首里に住む姉の宮城政子さん(91)は23日、初めて平和の礎を訪れ、妹の名前を見つめながら「まりつきしたり、お手玉したりよくやったよ。あの時(米子さんは)3年生、私は5年生。バーンして弾に頭をやられた」と当時を思い出し、涙をぬぐった。
米子さんの追加刻銘は弟の知念榮一さん(84)が昨年12月に申請。今年の追加刻銘がかない、家族で礎に訪れた。榮一さんの妻文子さん(82)が礎に花と首里の山城まんじゅうを供え、手を合わせた。
沖縄戦当時、首里鳥堀に住んでいた知念家は戦火を逃げ惑い、ばらばらになった。米子さんは真嘉比辺りで焼夷(しょうい)弾の空襲に遭い、破片が体を直撃してほぼ即死だったという。政子さんはその姿を目撃していた。
政子さんの腕やおしりにも弾の破片でけがをした痕がある。娘の須美子さんは「母から『目の前をびゅんと弾が飛んでいった』と戦争の時の話を聞いたことがある」と話し、母の背中を見つめた。
(座波幸代、写真も)