4歳で戦禍「甘えたかった」 母の名見つめ、名を知らぬ家族思う 糸満市の新垣さん 沖縄


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1人で平和の礎を訪れ、母キクさんの名前を見つめながら「甘えてやんちゃもしたかった」と語る新垣忠一さん

 沖縄県糸満市名城の新垣忠一さん(82)は23日早朝から同市摩文仁の平和の礎を訪れ、刻銘板に刻まれた母新垣キクさんの名前を見つめた。当時は4歳で、亡くなった父やきょうだいの名前や顔は覚えていない。戦後は祖母に育てられ、大きくなってからは生活に追われた。「母が生きていたらやんちゃもして甘えられたはずなのに」と語る。

 ここ数年、平和の礎に毎年訪れているが、心は落ち着かない。「自分も早く逝きたいと思う」とつぶやく。戦争や家族の記憶はほとんどなく、礎に刻まれた母の名前だけが自身の家族を知る手がかりだ。

 横浜でタクシー運転手として働き、3年前に沖縄に戻った。妻を亡くし、子どもたちとも疎遠だ。1人で礎を見つめながら「祖母もとても苦労した。若いころにもっと家族のことを聞いておけばよかった。礎に母の名前が残っているだけでも助かる」と話した。

(座波幸代)