在沖多良間郷友会のメンバーら約20人は23日、沖縄県糸満市摩文仁の平和祈念公園に設置された平和の礎の前で、民謡「多良間ションカネー」などを三線で演奏し、多良間村出身の戦没者173人をしのんだ。
歌三線の奉納は約10年前から続けてきたが、新型コロナウイルスの影響で4年ぶりの実施となった。地元で歌い継がれる曲を披露することで「戦没者にも懐かしんでもらいたい」との思いを込めている
この日は、果物やお菓子などを供えた後、福嶺勝公民謡研究所のメンバーを中心に「たらまゆう」なども演奏した。
にぎやかな歌三線が終わった後、4歳で沖縄戦を経験した西筋雅夫さん(83)は、刻銘されていない赤子の死を思い出していた。
親類の妊婦が村内を避難中に転倒し、赤子が死産したが、戦中のため「家畜のように畑に埋葬するしかなかった」。当時4歳の少年に刻まれた悲しみは今も消えない。「口伝えでしか世に残せない名もなき子の命もある。こうした戦争の災難も忘れないでほしい」と静かに語った。
(嘉陽拓也)