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気鋭の沖縄出身ボートレーサー 名門高校の元球児、異色の転身<県人ネットワーク>


この記事を書いた人 Avatar photo 琉球新報社
新進気鋭のモーターボートレーサーとして注目が集まる上原崚さん

 一瞬で勝敗を決する闘いに自らの持つ知力、体力…。ありったけの力をつぎ込んだ。今年2月23日のボートレース多摩川。ルーキーシリーズ第2戦スカパー! 第23回JLCカップ第12レース「優勝戦」で、並み居る強豪をまくり差しの決まり手で1着。タイムは1分48秒3。ボートレーサー上原崚がデビュー初優勝を飾った。

 「正直、優勝しても、ふわふわして信じられなかった」。偉業の成果を実感し始めたのは「親や同期からラインでコメントがたくさん来てから」。優勝を糧に上原健次郎選手ら「沖縄出身者で、いい成績を残していきたい」とボートレース界に郷土の風を吹かそうと気合を入れる。

 まるでアイドルグループの一員のような相貌。ボートレース界に新風を吹き込む逸材となった。さかのぼると那覇市に生まれ、野球一筋で学生時代を過ごしてきた。愛知県の大学に進んだのも野球選手への夢に情熱を注ぐためだ。

 ところが神のささやきだったのか。いよいよ就活の段階に入ると「野球で食っていくのは難しいかな」と自らを振り返った。さりとて野球以外に適職は見当たらない。そんな時にふと高校時代の恩師の言葉が頭をよぎった。「『ボートレースはどうか』って、言っていたなと思い出して…」。

 母親は当初、安全面から反対したものの、自らボートレース場へ足を運ぶなど情報を収集していくうちに「これはやらないと後悔する」と決意と覚悟は揺るぎないものに。それからは母を猛然と説得し、ようやく了承を得た。

 魅力はなんと言っても「厳しくもある中にやりがいがあること」。半面で「客の期待に一心にこたえること」とも。楕円(だえん)状のコースは1周600メートル。それを3周回。1800メートルは常に一世一代の大勝負の場。特に“ターンマーク”は勝負を左右する難所でもある。その難所で「いかにターンする時にスピードを殺さずに行けるか。その時の水しぶき、モーター音を感じつつ、いかに相手を倒すかに精神を集中させる」。

 一戦に掛ける熱量も半端ではない。「自身のコンディションを100%にするのは当然だ」とし、一心同体のボートのコンディションを整える「調整」にプロの才覚を注ぐ。「調整方法の引き出しがいかに多くあるか」。経験豊富な先輩のアドバイスを自らの血肉に変え、水をかくボートのプロペラにこだわる。「(ボートの)乗りあじが大事」なのだ。

 ボートレース界で「3S」と呼ばれる略称が語り継がれている。スタート力と旋回力、整備力の頭文字からとった。中でも「スタート力をおろそかにすると、その時点でハンディーになってしまう」(上原さん)。

 初優勝を糧に次なる目標は「一番近いところでは全国ボートレース甲子園」だ。各県代表が出場して、しのぎを削る。「沖縄代表として出られるようになりたい」。高校球児としてかなえられなかった甲子園への情熱をボートレースへ注ぐ。

 「一番大きい大会であるSG(スペシャルグレード)に出て優勝を目指す。応援してくれるとうれしい」。沖縄へボートレースの醍醐味(だいごみ)、魅力を伝えたくてうずうずしている。
 (斎藤学)


 うえはら・りょう 1995年7月に那覇市与儀で生まれる。古蔵中を経て興南高、中部大学へ進む。小学校2年生から野球を始め、あこがれの興南高野球部に進んだ。その後、レーサーに転身。新進気鋭の選手の一人だ。