<書評>『沖縄の生活史』 100年にわたる沖縄の世相


社会
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『沖縄の生活史』石原昌家、岸政彦監修 沖縄タイムス社編 みすず書房・4950円

 いつものように普通にページをめくる。沖縄を生きる、沖縄で生きる、沖縄を活(い)きる100人の声が記憶された、この分厚い書物と正面切って対峙(たいじ)するのは難しいように思えたが、こちらも生まれてこのかた、ずっと沖縄で生活してきた人間だ。101人目として、この聞き書きプロジェクトに参加するような気持ちで、日々の生活の合間をぬって、読み進めた。

 語り手が変わるたびに、万華鏡をくるりと回してのぞき込むような、ひとつとして同じ文様のない語りと、そして二度とない時間を過ごしているであろう聞き手の息づかいを思う。その話は目の前にいる、聞き手に向かって語られているのだ。限られた時間で、多くの語り手が自分のこれまでの人生を語るのだから、それは密度のある話になる。しかしそれもまた長い人生の断片に過ぎない。

 亡くなった父のような、認知症になる前の母のような、会うことのかなわなかった祖父のような、見守ってくれた祖母のような、中学校の級友のような100人の「普通」の人びとの語りは、俯瞰(ふかん)してみれば、ほぼ100年にわたる沖縄の世相を形作っているのだろう。戦前の島人であり皇民であった暮らしから、海外移民、沖縄戦へといたるさまざまな痕跡を土地に刻み、アメリカ統治下から「復帰」をへて、ひるまさ変わたるくぬ沖縄県。人びとは想像以上に流転し、怒濤(どとう)にのみこまれ、生と死が隣り合わせの艱難辛苦(かんなんしんく)な時をすごしているが、同時に、豊かで誇らしい華やかな人生として語ることもできる。

 なにをもってして「沖縄の人」と定義すればよいのか混乱するかもしれない。多くの語り手は、いわゆる沖縄らしさから、少しそっぽを向いているところがある。共通の質問である「復帰の日は何をしていたか」について記憶している人はそう多くなかった。

 印象に残ったのは、知り合いの聞き手が多かったこと、かたられる嫡子像が、わりあい『ちむどんどん』のニーニーに似ていること。

 まったく縁もゆかりもないあなたの話をもっと聞きたいと思った。まだ間に合う、同じ時代に一緒にいるのだから…。

(新城和博・編集者)


 いしはら・まさいえ 1941年台湾生まれ、沖縄国際大名誉教授。主な著書に「虐殺の島―皇軍と臣民の末路」「国家に捏造される沖縄戦体験」など。

 きし・まさひこ 1967年生まれ、社会学者・作家。主な著書に「同化と他者化―戦後沖縄の本土就職者たち」「東京の生活史」など。