岐阜にある河瀬家のルーツ 先祖を想い子孫につなぐ 河瀬直美エッセー<とうとがなし>(8)


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筆者(左)と養母の河瀨宇乃

 幼少の頃から夢みがちだった。自分の中で物語を作り上げ、それが本当に来る未来だと信じていた。私が母のお腹(なか)に居る時に両親が別居し1歳半の時に離婚。祖母もシングルマザーで母の他に3名の息子を抱え戦後の動乱期を生きていた。母はそんな祖母に甘えることができず、奈良にいる母の叔母さん夫婦を頼って出産した。その夫婦には子供がいなかったことも幸いだった。50歳半ばにして生まれたばかりの赤児(あかご)をまるで我が子のように育てた人。それが河瀨宇乃さん。そして河瀨兼一さんである。

 河瀨家は岐阜県の揖斐郡(いびぐん)にルーツがある。幼少の頃は、お墓参りのために彼らに連れられて長良川界隈(かいわい)で宿泊し、夏のひとときを過ごした。鵜(う)飼いや金華山のお猿さんや、川沿いの流れるプールと滑り台。記憶の中には走馬灯のように岐阜で過ごした時間がある。

若き日の養父母

 去年の夏、思い立って岐阜のお墓参りに行った。改めて墓標に記されたご先祖様の名前を見ると一番古いもので寛政6年に他界された助右ヱ門さんがある。西暦で言うと1794年。今から229年前。江戸幕府を11代将軍の徳川家斉が摂(と)り仕切っていた頃である。1760年生まれの葛飾北斎がいた時代。河瀨家に名前のわかるご先祖様がいらっしゃる。それは私にとってとても大きな支えだ。歴史はこうして文字や文化を遺(のこ)すことで今に伝わることがある。

 琉球王国は1429年に成立し1879年までの約450年間存在した国である。その頃の文献や文化が今の日本にどれだけ継承されこの先も保護されてゆくのか。私はかつてあった確かな感覚を自分の中に呼び覚ますことが好きだ。特に琉球舞踊の女踊りの中に存在する誰かを想う気持ちを表す所作は、深まる想いを重ねてゆく愛であり、魂を磨く時間にもなる。

 岐阜生まれの河瀨兼一さんは私が14歳の時に亡くなった。脳腫瘍だった。66歳という若すぎる突然の死。特に夢見がちな中学生だった私は死を受け止めることができず、養父の気配をリアルに感じて不思議な気持ちになることが多かった。肉体が消えて無くなっても、心の中にはまだ生きている人がいる。やがてそんな感覚が私の映画の中心に存在するようになった。

 最近話題の宮崎駿監督『君たちはどう生きるか』を観た時に感じたものとそれは似て、生きることと死ぬこと、もしくは死んだ後の世界は繋がっているということ。そして多くの表現者たちは自分のまだ存在しなかった「前」。そして「今」から「あと」を繋ぐ作業をし続けていることを悟る。

 まもなくお盆がやってくる。遠く昔の祖先と、この先の子孫を繋ぐ今に深く思いを馳せている。

(映画作家)