東日本大震災後の不安と焦燥を宙づりにして、詩行は不確かな歩行を自問しながら歩く他ない。傷つき、あたりまえではなくなった日常を、言葉によってあたりまえに組み立て直す。作者はそう願う。でもそんなことはできない。
「ねむる子の/投げ出された足のうら/粘土をこねたように/つちふまずが盛り上がっている」
ふと目がとまる。そこから言葉が動きだす。単純に見えて実は複雑なイメージを喚起するつちふまずの粘土。この比喩に、子が遊ぶ土や花との自由なふれあいの情景(時間)が重なつてくるとき、言葉は痛切を帯びる。
作者は震災直後、沖縄に避難。この詩集は、そのまま住むことになったこの間の作品をまとめたもの。中で、放射能から「逃げて来た」という負い目を告白している。この告白は告発を隠しているのだが、さらにその奥にある沈黙に、やがて私たちも気づかないではいられないだろう。
行を変えるたびにもつれて揺れるような歩行感と、ナイーブな心象の透明感が魅力的だ。旅を住(す)み処(か)にというが、これは逆に住み処を旅する詩のドキュメントとしても読めそうである。
作品のひとつを紹介したいので、ぼくの評言はここまでにする。『間口と風』。同名の詩がもう一つあるが、「開いたドアの向こうで」と始まる19行。ゆっくりと、こころにブレーキをかけながら、お読みください。
「開いたドアの向こうで/まぶしい日のなかへ/出ていく風はベランダから吹き込み/やわらかく空気の動きに沿って/赤い風船がひとつ床を転がりだしたのを/あると思って見ている間に/靴箱の先から見あたらない/ガジュマルの枝葉や気根が繁り/濃い木影を落とす/おもてへ遊ばせようと/外階段を連れられていったのかも/踊り場にはなく/ふり返れば呼ばれた廊下の左手に/腕と影をすり抜けるたび/奥へと跳ねまわる風のふくらみを/何度めかで抱きかかえたら/放たれたままのドアはノブを引いても/部屋を吹き流れるものに押し返され/しきりに開き続けている」(矢口哲男・詩人)
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しらい・あけひろ 1970年生まれ。沖縄県在住。詩集に「心を縫う」「くさまくら」「歌」「島ぬ恋」など。