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生き続ける言葉 磯崎主佳(美術教師・絵本作家)<未来へいっぽにほ>


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磯崎 主佳(美術教師・絵本作家)

 疎開する学童を乗せ、撃沈された対馬丸の語り部をされていた平良啓子さんの訃報を聞いた時、淀(よど)みない張りのある声が今にも聞こえてきそうで、信じられない気持ちだった。
 私は2年前、対馬丸事件の紙芝居の絵を描いた。多くの遺体が流れ着いた奄美大島の宇検村の物語だった。絵を描くには海に投げ出された時につかまった棒や樽(たる)の大きさなど、証言集や資料では読み取れないことを知る必要がある。私のさまざまな質問に対し、平良さんは思い出せる限りを説明してくださった。その熱量は、知識もなく頼りない私の心に、何のために描くのかという根本的な道筋をスパーンと通してくれたと思う。

 宇検村では、当時を知る大島安徳さんの話を聞くことができた。浜に打ち上げられた100体を超える遺体は、ほとんどがサメにやられてひどいありさまであり、埋葬は焼酎をあおりながらでなければできないつらい作業だったという。いつも静かだった海があの日は肉の海になったと、涙を流して語ってくださった。「沖縄の人はいつか必ず骨を拾いに来るはずだから、名札が読み取れる遺体は名前が分かるように埋葬しなさい」と、老人たちに言われたという。亡くなった人たちに心を寄せる、島の人々の深い思いを感じた。

 しかし軍は、かん口令で事実を語ることを厳しく禁じた。伝えたい思いは心の底に押し込められ、語れないもどかしさは罪悪感となり、何十年も村の人を苦しめた。

 思いを語ることは生きることと直結している。そして語られた言葉は、たとえその人が逝ってしまっても、受け取った人の内に生き続けていくと思う。