足元の歴史をもっと学んで 琉球・沖縄史教材作成の新城俊昭さん「探究心や思考力育てる」


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自身が手がけた教材「歴史総合と沖縄」を手にする新城俊昭さん=6月、那覇市

 太平洋戦争末期に凄惨(せいさん)な地上戦があり、現在も米軍基地が集中する沖縄。元県立高教員で、沖縄大客員教授の新城俊昭さん(72)は20代後半から、琉球・沖縄史の教材を作成している。1990年代に書籍化され、副読本として使う高校も。「探究心や思考力を育てるのは足元の歴史。もっと知ってほしい」と話す。

 本部町生まれ。5歳の時に父親が米軍車両にひかれ、亡くなった。補償を受けられず一家は離散。運転していた米兵は無罪になり「子どもながらに、沖縄の理不尽な状況に敏感になった」と振り返る。

 高3の時、広島で開催された高校総体に参加した。被爆地・広島の高校生に琉球や沖縄の歴史を尋ねられたが具体的に答えられず「沖縄の歴史を知って、教えるようになろう」と決意。東京の大学を卒業後、沖縄に戻り教壇に立った。

 当時、沖縄史を扱う高校生向けの副読本はなかったといい「誰もやらないなら、自分がやるしかない」。新城さんは各地の史跡に足を運び、資料を集め、教材を作り始めた。当初は蓄積したものを自費出版し、その後出版社から出すようになった。

 掲載写真は、自ら撮影したものも多い。現在も続く基地問題などはページを割いて丁寧に扱う。内容は常に見直し、昨年は、新学習指導要領に対応した「歴史総合と沖縄」を発行した。

 県教育委員会によると、本年度、新城さんが手がけた書籍を副読本として使用している県立高は14校となっている。一方で、新城さんが参加する「沖縄歴史教育研究会」が昨年、県立高2年生に実施した調査では、沖縄が日本復帰した年月日(72年5月15日)を答えられたのは22%にとどまった。全国の米軍専用施設面積に占める沖縄県の割合(約70%)の正答率も49%だった。

 現状に危機感を抱いた新城さん。「いつまで個人で教材を作れるか」との不安もある。

 今年2月には、子どもたちが琉球・沖縄史を学ぶ機会をより増やすことや、県教委によるテキストや資料集作成を求め、県議会に陳情した。「歴史の変遷を捉え、沖縄が向かうべきあり方を子どもたちに考えてほしい」と願っている。