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台風6号 アカバナーに励まされ 河瀬直美エッセー<とうとがなし>(10)


この記事を書いた人 Avatar photo 琉球新報社
嵐の中、ひっそりと咲いていた筆者宅のハイビスカス

 今年は台風に日常生活を脅かされることが多く、7月の末から8月の上旬にかけて沖縄ではほぼ1週間にわたって台風6号が上空に居座り続け、10日以上、太陽が顔を見せなかった。

 沖縄の知人友人の安否を確認する中で、彼らが一番困っていたのは停電だった。電気が来ないというのは現代のライフスタイルにとって致命的とも言える。冷蔵庫やテレビや洗濯機などの電気製品は現代人の生活を支えるとともに、携帯電話に代表される通信機器は人々のコミュニケーションのツールとしても抜きんでている。それらが一瞬にして機能しなくなる脆弱(ぜいじゃく)な人間社会を垣間見ることになった。

 もちろん島は輸送手段がなければ県外からの物資も滞ることになる。ニュースではスーパーの棚に一切食料が並んでいない映像を幾度となく見た。しかしそれらは自分ごとにはどうしてもならない。伝え聞く沖縄の現実は本土の人間にとって遠く感じられる。

 そんな時、お盆の8月14日から15日にかけて紀伊半島を縦断する台風7号がゆっくりと北上してきた。私は15日の深夜便で関西国際空港からルーマニアに渡航予定だった。最後まで粘ったが、関空は全面閉鎖。やむなく16日の成田便に切り替えた。しかし、関西から成田の朝便に間に合うように向かうことが物理的に不可能となった。陸路、空路どちらも欠航、運休、通行止め。公共交通は近年、異常気象による災害が頻繁に起こる中で、安全を重視して多くの便の運休を決める。

 今回のルーマニアでは世界の映像美の貢献に対して贈られる賞を受賞し、授与式と受賞に伴う河瀬直美特集の上映に立ち会う為の渡航だった。しかし、15日の昼時点でそれらに間に合う為のフライトは先に書いた16日成田の朝便しかない。ルーマニアからは、断腸の思いで今回はオンラインでの参加で対応したいと、台風が奈良の上空を通り過ぎる最中にメールが届いた。

 暴風雨に晒(さら)され家が揺れる中、ふと見ると窓際に置いたハイビスカスの花が太陽の光とは無縁のどんよりした鉛色の空の下、ひっそりと一輪花を咲かせていた。仏桑花(ぶっそうげ)、沖縄ではアカバナーとも言うハイビスカスの原種は仏に供える花として有名であると聞いていたが、8月15日、ご先祖様を迎えている日に原種から派生したこの赤い花が沖縄からの「想い(ウムイ)」を寄せていただいているようで、心が丈夫になった。

 その数時間後、JALが臨時便を伊丹と羽田の区間で飛ばすというニュースを目にして、藁(わら)にもすがる想いで予約し、空港に向かった。

風騒ぎ むら雲まがふ 夕べにも 忘るる間なく 忘られぬ君

 これは、光源氏と葵の上との間にできた夕霧の中将という15歳の少年が詠んだ歌である。風が吹き騒ぎ、雲が乱れるような夕べであっても片時も忘れることなどありません。あなたのことを。

 通信手段もなく想いを届けることは今よりもずっと困難な時代の歌でも、千年の時を越えてあの頃と同じ「野分(台風の古語)」の最中(さなか)に私に届く。そんな息の長い映画を遠くに暮らす沖縄の人たちにも届けたい。私の心はそっと、あなたの近くに居(い)ます。幽(かそ)けき想いとともに、台風一過の実りの秋を心待ちに、私はルーマニアへの飛行機に乗り込んだ。

(映画作家)