太平洋戦争中の1944年に疎開学童らを乗せて那覇から九州に向かっていた対馬丸が米潜水艦の攻撃で沈められて22日、79年を迎えた。氏名が分かるだけで学童784人を含む1484人が亡くなった対馬丸事件。犠牲者を慰霊する那覇市若狭・旭ヶ丘公園の小桜の塔では、午前11時から慰霊祭が開かれ、遺族ら約250人が参列した。
対馬丸記念会の高良政勝代表理事は、追悼のことばで「今もウクライナのみならず、世界の至る所で戦争が起きており、一般人を含め子どもたちに大きな被害が出ている。平穏に暮らしていた人々の生活が破壊される現状、毎日のように報道される沖縄周辺の緊迫した状況。『歴史は繰り返す』と言われるが、私たちは戦争の歴史だけは、決して繰り返してはいけない」と述べ、事件を継承し、平和な世の中をつくっていくことを誓った。
新型コロナウイルスの影響で中断していた一般焼香も4年ぶりに再開された。太陽が照りつける厳しい暑さの中、大勢の遺族らが参列し、涙を浮かべて手を合わせていた。
対馬丸は1944年8月21日、疎開する学童ら1788人を乗せて那覇を出港し、翌22日夜、鹿児島県悪石島付近を航行中に米潜水艦ボーフィン号の魚雷攻撃を受け沈没した。
(中村万里子)