『兄は沖縄で死んだ』 変わらぬ国民の思考停止


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『兄は沖縄で死んだ』加藤多一著 高文研・1600円+税

 「私の沖縄についての学習は、恨みと悲しみとから出発している」
 本書の書き出しである。沖縄戦での兄の戦死の状況を調べ、慰霊するための沖縄行きだったからだ。以後7回にわたって沖縄を訪問、その“沖縄学習”はこう締めくくられる。

 「天皇の軍隊によって強いられた兄の死と沖縄戦。七十年後の沖縄の現実。…最後に突き当たるのは天皇制である。最終段階でそのことがわかってきた」
 著者・加藤氏は北海道に住む児童文学者。40冊を超す著作があり、現在81歳を数える。本書はその加藤氏が1993年から2015年まで7回沖縄を訪ねて、戦跡を歩き、沖縄戦の体験者はじめ、さまざまの分野で活動する人々との出会いを重ねて、沖縄への認識を深めていったルポルタージュである(兄の戦死の状況は最期の場所が南部の真栄平だったことまでは分かるが、詳細は不明で終わる)。
 高齢ではあるが、加藤氏の感性はしなやかで、精神は若々しい。本島南部の戦跡はくり返し訪れるが、特に作家の目が光るのは、摩文仁の丘に立ち並ぶ各県の慰霊碑である。碑文には「美文が氾濫」し、用語もアジア諸国の人々への視点を欠いた「大東亜戦争」の呼称を使い、県知事名が仰々しく刻まれている。これは「慰霊碑」ではなく「顕彰碑」ではないか?
 南部戦跡とともに加藤氏は読谷や伊江島を訪ね、辺野古の座り込み現場にも行く。そこで沖縄戦から切れ目なく続く沖縄の現実を全身で受け止める。
 そうして行きついた天皇制問題の本質が、国民の「思考停止装置」にあると悟る。神国幻想は消えても国民の精神構造は戦前と変わらず、多くは自分で考えることより思考停止の惰性に安住しているのだ、と。
 確かに何十年もの間、沖縄への基地の異常集中を黙認し、さらに新基地建設による恐るべき環境破壊を黙許している状況は「思考停止」と見るほかない。
 今や現代の古典となった『沖縄ノート』は30代の大江健三郎氏によって書かれた。それから半世紀、大江氏と同年の加藤氏による本書は81歳作家の今日の『沖縄ノート』といえよう。
(梅田正己・書籍編集者)
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 かとう・たいち 童話作家。1934年、北海道生まれ。58年から札幌市職員。52歳で退職し、87年、稚内北星短期大学教授。5年勤務の後、執筆活動に専念。85年、北の児童文学賞、86年、日本児童文学者協会賞、92年、赤い鳥文学賞。

兄は沖縄で死んだ
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