⑬「振り向いて」 自傷行為繰り返す


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傷痕が今も残る女子生徒の腕。小中学生のころ嫌な事があるたびに切った=6日、県内

 主食はチョコレートだった。家族で食卓を囲んだ記憶は数えるほどしかない。「お菓子だけでは満腹にならなかった。ずっとおなかがすいていた」。現在、県内の高校に通う女子生徒(17)は小学生のころを淡々と振り返った。
 父が営む商店が倒産し、物心がついた時から家計は厳しかった。母は家計を支えるため、やめていた夜の仕事を再開した。余裕のある時にご飯を作ってくれることもあったが、ほとんどは自分たちで食べなければならない。料理の作り方を教わったこともなかった。子どもたちはどうしていいか分からなかった。
 倒産後も父は働かず、遊技場に通っていたと後で母から聞かされた。嫌気が差した母と家を出た時の状況をおぼろげながら覚えている。
 まだ3歳だった。午前3時ごろ、少女は物音で目を覚ました。「お母さん何してるの」。母親が玄関で大きなかばんに荷物を詰めながら、1歳の妹を抱いていた。「あんたも行くね」と問われ、状況を理解しないままタクシーに乗り込んだ。
◇  ◇
 家が見つかるまで1年ほど、母の友人宅を転々とした。行き場が見つからずに商店街の広場に設置された椅子で寝た夜もある。家を出てきた格好のままだった。幼かったため何泊したか覚えていないが、ただただ寒かった。
 家が見つかっても夜は姉妹2人きりだった。スナックで働く母は午前3時ごろに酒の臭いをさせて帰宅し、大声で少女たちを起こした。仕事のストレスからか「お前たち、どっかよその国に捨てるよ」などと怒鳴り散らした。少女は「眠れないし。頭おかしくなるの当たり前」と振り返った。
 そのうち母に交際相手ができた。家計を支えるために稼いだはずの収入を貢ぐようになった。後で分かったことだが、父が送ってきた養育費も少女たちには回っていなかった。周りの友人が持つ自転車やゲーム機がうらやましかった。話題に上る500円の漫画雑誌が欲しかった。「みんなの話に入れない。見せ合いっこもできないし」
 欲しかった物を挙げれば切りがないが、何より母に構ってほしかった。「ずっとお母さんに振り向いてほしかった」
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 深夜に大声や物音が聞こえてくる家に近所の人たちは近づこうとしなかった。親戚付き合いもない。人との接し方を知らなかった。周囲の大人にどう頼ったらいいのかも分からない。学校でも同級生との距離をつかめず、心にもない攻撃的な発言をしてしまうことが多かった。
 小学6年のころから自分の腕を切るようになった。初めは自宅の包丁で、後からカッターを使った。嫌な事があるたびに切った。「初めは怖かったけど、少しずつはまっていった」。理由は分からないがスカッとして落ち着く。自傷行為が心のよりどころとなっていった。
 そのころ担任から誘われ交換日記をつけていた。いつも長袖を着ている理由を聞かれた。傷痕を隠すためだと打ち明けた。母親には言わないように頼んだ。
 数日後、仕事を終えて深夜に帰った母から「何でこんなことをするの」と怒られた。担任以外には明かしていない。「先生に裏切られた。助けてほしかったのに」
 母が夜の仕事を再開してから、少女は社会から孤立していった。少女にとって学校も救ってくれる場所にはならなかった。小学6年時から不登校になり、教育相談員の勧めでフリースクールに通い始めた。(子どもの貧困取材班)

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<メモ>ネグレクト(育児放棄) 2014年度に県内の児童相談所が対応した児童虐待478件のうち、ネグレクトが185件で最も多かった。沖縄大学非常勤講師の山内優子さんは「ひとり親家庭で家計を支えるために親が高賃金の夜の仕事を選ばざるを得ず、育児に手が回らなくなる例が多い。支援制度はあるが周知されていない」と説明した。

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