⑭「取り戻したい」 自立へバイト始める


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家に帰るまで歩いて時間をつぶす少女。好きな曲を聴いて嫌なことを忘れる=県内

 家の玄関を開けると、気配が分かる。音を立てないように扉を閉め、母が寝付くまで帰らない。県内の高校に通う女子生徒(17)が金を使わず時間をつぶすため、見つけた方法は歩き続けることだ。好きな洋楽の曲を聴きながら歩く。気が付くと8キロ先の街にいた。「酔っ払っている母の姿は見たくないから」
 現在は週5日のアルバイトをしながら、高校に通う。父の商店倒産がきっかけで、幼いころに母が生活を立て直すために夜の仕事を再開した。少女と妹を連れて家を出た母はストレスからか少女らに怒鳴り、家事もしなかった。少女は人との接し方が分からず、恐れるようになった。不登校となり、小学6年の時にフリースクールに通い始めた。
 スクールで相談員を務める女性は頭を抱えた。「この子を救うにはどこから手を付けたらいいのだろう」。初めて会った少女の表情は硬く、目はぼんやりとしていた。「家庭のこと、学校のこと、自分のことなどたくさんの悩みを抱え自分を追い詰めていた。絡んだ糸をほどく必要がある」
 母にはスクールの行事があるたびに呼び掛けたが出席しなかった。それでも職員が根気強く手紙を送り、少しずつ参加するようになった。相談員の女性は、何度か会ううちに母が少女を見詰める瞬間、優しい目になることに気付いた。「お母さんは愛情がないんじゃない。表現の仕方が分からないのだと思う」と母親の気持ちを推し量った。
 中学校に入学して最初の1カ月は登校した。だが続かなかった。ささやき声や笑い声が聞こえると、理由なく「うわさされている」とおびえ、教室に入れず再びスクールに戻った。
 スクールには給食がなく、少女には弁当はなかった。職員がおにぎりや弁当を分けてあげた。周囲に気兼ねしないよう「間違えて多く作りすぎちゃった」などと理由を付けて渡すよう工夫を重ねた。
 少女は次第に同年代の生徒と打ち解けるようになった。本人も当時を振り返り「初めはみんな信用できなかった。でも少しずつ、信用してもいいんだなって分かった」と話した。
 中学2年のころ、祖母が入院し、見舞いに行った。そこで親戚に出会った。母から親戚の話は聞いたことがなく、存在すら知らなかった。見舞いのたびに顔を合わせ、親戚は少女と妹の状況を知った。
 心配した親戚はご飯を作りに家を訪れてくるようになった。そのほかの家事もしてくれた。料理も教わった。「親戚の人が親みたい。普通の家庭にしようと頑張ってくれた」と少女は語る。安心感から自然と自傷行為もなくなった。「もう必要ない」
 フリースクールに通いながら高校受験に挑戦した。通信制高校を受けようと思っていたが、将来を案じた親戚の助言で公立高校を目指した。受験勉強を頑張れたのも家で親戚が見守っていたからだった。「今頑張らんと、後悔するよ」と少女を叱ってくれた。
 進路を変えたのは試験時期が迫る12月だったが、猛勉強して合格できた。「小中学校を楽しめなかった分、今取り戻したい」と学校生活を楽しんでいる。
 卒業後は「とにかく早く母から離れて暮らしたい」と考えている。アルバイト代を貯金し、自立するための資金にする。ただ、妹のことが心配だ。中学生のころから友人と出歩き、深夜まで帰らないようになった。「まだお母さんの愛情を求めているんだと思う。かわいそう」
 育った家庭環境の影響で子に対する虐待や貧困が連鎖しがちだと最近、インターネットで知った。「自分にもし子どもができたら、ちゃんと育てられるか分からない」。自信はない。「でも自分と同じ思いはさせたくない。お菓子じゃなくちゃんとしたご飯を食べさせてあげたい」。連鎖を断ち切りたいと、少女は将来を見据えている。(子どもの貧困取材班)

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