「悲劇二度と」誓う 読谷のチビチリガマで慰霊祭


この記事を書いた人 志良堂 仁
チビチリガマの中で手を合わせる遺族ら=2日、読谷村波平

 【読谷】沖縄戦で1945年4月2日に住民83人が「集団自決」(強制集団死)に追い込まれた読谷村波平のチビチリガマで2日、チビチリガマ遺族会による慰霊祭が行われた。遺族や関係者ら約40人が集まり、ガマの中で手を合わせて犠牲者の冥福を祈り、平和を願った。

 遺族会の与那覇徳雄会長は「まだ戦争は終わっていない。沖縄は戦後71年たっても国策に翻弄(ほんろう)されている。足元を見詰め、二度とチビチリガマの悲劇を世界のどこにも起こさせてはいけない」と話した。
 与那覇徳市さん(73)=村渡慶次=は「家族をチビチリガマで亡くした母が、ぼうぜんと立ち尽くし、涙を流していた姿を覚えている。今、この国はどこに向かってるのか。戦争に子どもを送り出してはいけないと強く思う」と話し、安保法の施行など国の安全保障政策を批判した。