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代執行訴訟 忍従を強いる側に立たない 藤原健<おきなわ巡考記>


代執行訴訟 忍従を強いる側に立たない 藤原健<おきなわ巡考記>
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 辺野古代執行訴訟の判決があった20日の福岡高裁那覇支部前。掲げられた「不当判決」の文字を、私は目に焼き付けた。統治する側が、される側にのしかかるような圧力をかけ続けてきたのが、この間の実態ではなかったか。判で押すように「辺野古移設が唯一の解決策」と言い続けながら、その理由を明示しない政府の側に公益性があることを前提にした判決に、どれだけの正当性があるのか。玉城デニー知事は25日、これを不承認とした。掲げた公約、投票した7割以上の有権者が「辺野古埋め立て、ノー」を示した県民投票(2019年)からすれば、当然の判断だ。経緯を振り返る(肩書は当時)。

 12年、森本敏防衛相は会見で、普天間の移設先は「軍事的には沖縄でなくてもいい。政治的には沖縄が最適地」と述べた。基地は「沖縄の問題」であり、「自分ごと」とは感じない日本本土有権者の無関心も意識してのことだ。

 そもそも普天間の運用停止(閉鎖)は辺野古での工事進展とは切り離して実現することになっていた。13年、仲井真弘多知事が県内移設承認の条件に「普天間の5年以内の運用停止(閉鎖)」を要請し、政府首脳も応じた。ところが普天間閉鎖と辺野古移設とのリンクを不可欠の条件=「辺野古が唯一」とし「5年以内」もほごにした。

 このリンク論も、問題を抱える。17年の参院外交防衛委員会で、稲田朋美防衛相が「条件が整わなければ普天間返還とはならない」とした。実は、辺野古に予定している滑走路は普天間よりも短い。大型軍用機の民間飛行場使用を条件の一つとするが、めどはどうなっているのか。

 思い起こす。1995年、小学生女児への在沖米兵の性的暴行事件。抗議の県民大会に集まった8万5千人から、基地撤去を求める声が渦巻いた。しかし過重な基地負担の軽減は「無条件撤去」ではなく、辺野古への移設による「危険性の除去」に言い換えられた。以後、沖縄への負担押しつけに変わりがないまま、「辺野古が唯一」という繰り返しの主張が続いて今日の事態を迎えた。

 宇野重規・東京大教授は自著「民主主義を信じる」で、こう述べる。その意味をかみしめたい。

 「基地問題はまさしく日本全体の問題であるが、その負担をどの地域に負わせるかについての正当性は、どれだけ異議申し立ての機会があり、その意見が十分に考慮されたかにかかっている」

 今回の判決文は「沖縄県民の心情は十分に理解できる」と「付言」で言及してはいるが、その論理は米軍専用施設の70%が沖縄に集中している現状を追認し、統治者の側に立ち続ける。

 いま、新聞人として強く思う。自由な言論は統治者(とその論理)に忖度(そんたく)、追従しては成り立たない。忍従を強いられた人々の心を、事実を積み重ねて学び直し、その側に立つ、との覚悟を改めて確認する。言論は、かつて戦争を推進した統治者に組み伏せられた。その轍(てつ)を踏んではならない責任があるのだ。

 (元毎日新聞大阪本社編集局長、那覇市在住)