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沖縄が「核の島」になった原点 米軍が大量の核兵器を配備 基地使用で「密約」<沖縄の国連軍基地~基地固定化の源流>3


沖縄が「核の島」になった原点 米軍が大量の核兵器を配備 基地使用で「密約」<沖縄の国連軍基地~基地固定化の源流>3 朝鮮戦争で嘉手納飛行場から飛び立ち、朝鮮半島を空爆する戦略爆撃機B29=1951年2月(米国公文書館蔵)
この記事を書いた人 Avatar photo 梅田 正覚

 朝鮮国連軍基地の起源は1950年に勃発した朝鮮戦争にある。米国は冷戦を背景に前年は沖縄の長期保有と軍事要塞化を決め、基地建設を本格化していた。

 朝鮮戦争で米軍は嘉手納飛行場から連日、戦略爆撃機B29を出撃させ、朝鮮半島で無差別爆撃を繰り返した。戦時中、嘉手納飛行場を拠点とした中国本土への核攻撃も計画されており、後に沖縄に大量の核兵器が配備される契機ともなった。

 沖縄大の若林千代教授(沖縄現代史)は「朝鮮戦争は沖縄の軍事要塞化に拍車を掛けると同時に『核基地』化の原点にもなった」と指摘する。

 51年4月、マッカーサー国連軍司令官(当時)の要請に基づきトルーマン大統領(同)は原爆の使用を許可。核物質の管理が原子力委員会から軍に移管された。

 原爆使用が現実味を帯びる中、米軍は同年9月には嘉手納飛行場から飛び立ったB29が模擬核爆弾を搭載して北朝鮮上空まで飛行して威嚇する「ハドソン・ハーバー作戦」を実行。だが中国との全面戦争に発展する恐れから原爆使用の命令は下されなかった。

 朝鮮戦争を踏まえ、米軍は第三次世界大戦に備えて沖縄の基地拡張を推進。土地の強制接収が行われた。国防総省の解禁文書などによると、米軍は50年代半ばから沖縄に核兵器を配備した。日本に復帰する72年までにさまざまな種類の核兵器が約1300発も置かれていた。

 若林教授は「米軍部が沖縄返還で失うことを恐れた『基地の自由使用』とは核兵器の使用も含まれている。それが復帰時の核密約にもつながり、現在でも生きている。朝鮮戦争は沖縄が『核の島』となる第一歩だった」と語った。

 沖縄が日本に復帰した72年5月15日。日本政府と国連軍参加国はひっそりと「合同会議」を開催。米軍普天間飛行場と嘉手納飛行場、ホワイトビーチを国連軍基地に指定することを合意した。以来、国連軍基地は沖縄の基地固定化の「源流」であり続けている。

 (梅田正覚)