独自の文化育む与論島、沖縄と続く交流 <第31回やんばる駅伝競走 与論島大会>


独自の文化育む与論島、沖縄と続く交流 <第31回やんばる駅伝競走 与論島大会> 与論島
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 与論島は隆起サンゴ礁の島で、鹿児島県本土から南に576キロに位置することに対し、沖縄本島の北端からは北に23キロにある。島の周囲は約22キロ、標高は97・1メートルと、島全体が平らな地形。青い海、白い砂浜が広がる自然豊かな景観は観光地としても人気が高い。
 近年は星空を観光資源とし、星空観察に支障がないよう、外灯などの夜間照明の明るさ調整に島を挙げて取り組んでいる。観光の国際的認証団体グリーン・デスティネーションズが選ぶ2023年の「世界の持続可能な観光地TOP100」にも選ばれた。
 気候や文化、歴史の面で沖縄との関わりは深い。与論は1266年、琉球国の英祖王に貢ぎ物を納め、琉球の所属になった。その後、1609年に島津藩が琉球を征服し、与論は琉球から分割され、薩摩の直属になった経緯がある。そのため、琉球の影響を受けながらも、島独自の文化を育んできた。国指定重要無形文化財の「与論十五夜踊り」は島民慰安、五穀豊穣(ほうじょう)の祈願と感謝の意味を込め、旧暦3、8、10月のそれぞれ15日に奉納される。
 第2次世界大戦の終戦後は一時、米国の統治下となった。53年に日本に復帰し、米統治下が続いた沖縄とは北緯27度を境に「国境」が生まれた。与論町は1963年1月に町制を施行。2022年には沖縄の日本復帰50年に合わせ、国頭村と与論町が、沖縄の復帰まで北緯27度線で開かれた「海上集会」を再現するなど、密接な交流は続いている。
 2024年4月末現在の人口は2676世帯、5074人。

与論島紹介

(1)百合ヶ浜 約2キロに渡って砂浜が続く与論島最大のビーチ大金久海岸。その沖合約1・5キロの場所に浮かぶ白い砂浜が与論島で人気の観光スポット「百合ヶ浜」だ。例年、春から夏にかけて大潮の干潮の時間帯に姿を現す。
(2)与論民俗村 与論島の昔の民家や民具を保存している屋外型の資料館。1966年4月に島の民具など文化を保全しようと「与論民具館」として設立。84年1月には草木染や芭蕉布織りなどの体験教室も始め、「与論民俗村」に改称した。
(3)赤崎鍾乳洞 与論島はサンゴ礁が隆起してできており、石灰岩に覆われている。大地が地下水によって浸食され長い年月をかけてつくり上げられた。本洞120メートル、支洞130メートルで、所要時間20分ほどで回ることができる。
(4)与論城跡 1405~16年ごろ、琉球の北山王の三男、王舅(おーしゃん)が与論の島主として築城したとされる。途中で北山王が滅亡し、築城は中止され未完成となった。天然の三層の断崖と、これを結ぶ石垣が続き、城跡内では国指定重要無形文化財「与論十五夜踊り」が行われる。
(5)サザンクロスセンター 南十字星(サザンクロス)が観測できる国内最北端の地であることから、名付けられた。展望台から島全体を見渡せ、施設内部は与論島と奄美群島の歴史や自然、文化を紹介する総合資料館となっている。