【特別号】癒えぬ戦禍の傷 遺族、犠牲者思い涙 慰霊の日 沖縄戦から79年


【特別号】癒えぬ戦禍の傷 遺族、犠牲者思い涙 慰霊の日 沖縄戦から79年 魂魄の塔に向かい平和を祈って手を合わせる子どもら=23日午前7時51分、糸満市米須(大城直也撮影)
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住民の4人に1人が亡くなった沖縄戦の終結から79年となる慰霊の日の23日、糸満市米須の魂魄の塔や摩文仁の平和の礎には早朝から多くの遺族や親族らが訪れ、亡くなった家族らに思いを寄せて恒久平和を願った。

 米軍から移動を命じられた真和志村(現那覇市)の村民らが1946年2月、米須一帯の遺骨を収集して収めたのが魂魄の塔。収集された遺骨は5、6年の間で3万を超えた。23日午前6時すぎには、家族連れが花や飲み物を備えていた。

 20日に梅雨明けした沖縄。23日午前7時時点で、手元の温度計で気温は、真夏日の31度になっていた。真榮城玄信さん(91)は、沖縄戦で、兄の玄徳さんを21歳で、玄松さんを19歳で亡くした。玄徳さんの写真と玄松さんの召集令状を手に魂魄の塔を訪れた。

 「兄貴たちの犠牲の上で豊かな生活がある。安らかに眠ってほしいと語りかけた」と真榮城さん。ウクライナ侵攻などについて触れ「戦争で苦しむのは結局市民だ。政治家はしっかりしてほしい」と厳しい表情で語った。

 今年新たに県出身者24人を含む181人の名前を追加刻銘された平和の礎いしじにも、早朝から遺族らが訪れた。家族の名前が刻まれた礎に花を手向け、手を合わせていた。刻まれた名前をなぞり、涙を流す人もいた。戦後79年がたった今も癒えない傷や怒り、悲しみを抱える県民は少なくない。

 沖縄戦で叔父夫婦を失った新垣毅さん(45)は1人で平和の礎を訪れた。「20年前に沖縄に戻ってきてから毎年、礎を訪れている。慰霊の日は平和について考える日にしたい」と話した。
 平和の礎には今年新たに追加された181人を含め24万2225人の名前が刻まれている。


(狩俣悠喜、吉田健一)