お猿のメイキーは「4代目」だった! メイクマンのマスコットキャラの変遷をたどる<Who強者How強者 沖縄企業力を探る>スピンオフ  


お猿のメイキーは「4代目」だった! メイクマンのマスコットキャラの変遷をたどる<Who強者How強者 沖縄企業力を探る>スピンオフ   メイクマンのマスコットキャラクター「メイキー」
この記事を書いた人 Avatar photo 島袋 良太

 ホームセンターのメイクマンといえば、マスコットキャラクターのお猿さん「メイキー」。Tシャツなどのグッズも販売されるほど県内で認知が広がり、定着したが、実はメイキーの姿は変遷してきた。現在のメイキーは、マスコットキャラとしては4代目となる。これまでの姿を紹介する。

◆初代は「原始人」?

 まずメイクマン創業当時の1975年に誕生したのは、現在のメイキーとは似ても似つかない「原始人」だった。メイクマンによると、当時流行していた原始人のアニメキャラに似ていたため、「このデザインで大丈夫か」という議論もあり、早々に2代目へと差し替えられた。1975年創業時のメイクマン1号店には、実際にこの原始人キャラが描かれていたのが当時の写真で確認できる。

創業時の看板に描かれていたマスコットキャラクター
(メイクマン40周年記念誌より) 

 その後、1号店の外観を塗り替えて登場したのが「2代目」となるサルのキャラクターだ。先代の原始人キャラは右手に石斧を持っていたが、この2代目キャラのサルになってからは、よりDIY感を出してハンマーを持った。2代目は現在のメイキーと同じサルではあるが、より「いかつめ」の風貌だった。

サルになった「2代目」ハンマーでよりDIY感も
(メイクマン40周年記念誌より) 

◆実在の「モデル」がいた!

 メイクマンによると、メイキーのモデルは実在した。同社の創業メンバーで社長、会長を務めた岸本安正氏(故人)が飼っていたテナガザル「ダイスケ」だ。ダイスケはなかなかやんちゃで、打ち合わせに来ている取引先にもちょっかいを出すなど、なかなか手を焼いたという。

岸本安正氏が飼っていたテナガザル「ダイスケ」
(メイクマン40周年記念誌より)

 3代目は70年代後半から80年代ごろに登場した。まだ「メイキー」の名前はなかったが、この頃にはチラシなどに登場し、露出が増えていった。当時のチラシや広告には、このサルが旗頭を持ったり、カラオケをしたり、しまいにはパトカーに乗ったりする「七変化」も描かれ、見る人を楽しませた。

1970年代後半から80年代ごろに登場した「3代目」
(メイクマン40周年記念誌より)

◆「永遠に10歳」

 おなじみになった現モデルの「メイキー」は80年代中盤ごろから登場し、正式に名前がついた。それから40年ほどたつが「永遠に10歳」の設定となっている。

4代目で正式に名前がついた「メイキー」
(メイクマン40周年記念誌より)

 メイキーの好きなものは工作と昆虫だが、母親の「メイかあさん」は「昆虫と毛虫」が苦手との設定という。メイキーの父は「マイクとうさん」、妹のベッキーちゃん(永遠の8歳)も。4人そろって仲良し「メイキー一家」だ。