【アメリカ】子の居場所 確保へ奔走 容子・シャノン・中村さん


この記事を書いた人 Avatar photo 琉球新報社
子どもの居場所づくりの一環で立ち上げられた「希望むら」の活動に参加する児童ら(容子・シャノン・中村さん提供)

 「全ての子どもは、社会を変えていくアンバサダー(外交官)」―。バージニア州在住、アメリカNPO Eggs of Hope (希望のたまご)代表の教育アドバイザー、容子・シャノン・中村さん(57)=滋賀県出身=が、2012年から15年の初めまで、沖縄県内各地の公園や学校、児童施設などで居場所づくりに奔走した。中村さんが立ち上げたプロジェクト「希望むら」は、県内各地で子どもたちを中心に集い、「一人一人が愛される存在だ」と強調する中村さんの下で広がっていった。その心は今でも参加した大人や子どもたちによって引き継がれている。

 沖縄県は世帯所得が全国最下位で子どもの3人に1人が貧困状態という深刻な問題を抱えている。県は子ども貧困対策として「貧困が自己責任でなく、社会全体の問題として次世代の沖縄を担う人材を育成し、子どもに自己肯定感を持たせ、安心して過ごせる居場所確保」などを掲げている。

 それらの具体的な施策は、「希望むら」によって県内各地で既に実施されている。きっかけは、中村さんが東日本大震災の被災者に手作りカードを贈る活動「希望のたまご」から生まれたプロジェクトからだった。中村さんが知人らと協力し、那覇市大石公園、沖縄市美里公園、マンタ公園、うるま市、昆布などで子どもたちが定期的に集える場所を設けた。

 「最初のころは、言葉の暴力による傷つけ合いや、けんか、いじめが絶えなかった。その仲裁だけで終わってしまった」。中村さんは振り返る。

 こうした問題の解決策として、(1)みんな友だち(2)分かち合う心(3)「ありがとう」と感謝の心(4)譲り合う心(5)助け合う心―の五つの心のルールを決めた。このルールを守る人たちがつくる空間を「希望むら」と名付け、プロジェクトをスタートさせた。

容子・シャノン・中村さん(前列左)と家族ら=バージニア州

 中村さんによると、設立当初はけんかやいじめなど問題行動の多かった子どもたちも、善い行いをするたびに褒めるなど声掛けを行うことで積極的に善い行いをするようになったという。

 希望むらではスポーツや創作活動など、子どもたちの情緒を豊かにする教育も少しずつ取り入れていった。ボランティアの人たちに支えられ、こうした活動は各地の公園や学校、児童施設などで実施されるようになり、多くの子どもたちが参加した。

 中村さんは「『一人一人は大切な宝』と思える居場所をつくり、共に子どもたちが希望を持って生きられる輪を広げていくことが貧困の負の連鎖を断ち切って問題を解決する一歩になるのでは」と力説する。

 こうした経緯から、県内の児童養護施設の協力の下、「全ての子どもは社会を変えるアンバサダーに」を目標に心の育成を第一としたスクール「アンバサダースクール」を始めた。スタッフと共に英語や音楽、創作活動、礼儀作法のクラスのほか、国際人として必要な知識や、国際文化、マナーなども教えた。首里城見学勉強会などを企画し、琉球の歴史にも触れさせた。

 沖縄を離れる際、希望むらで学んだ子どもたちからお礼の手紙が届いた。「一人一人が愛されているという容子先生の言葉に救われた」「アンバサダースクールでそれぞれ人は役割を持って生まれたこと、言葉の力の凄(すご)さなど大切なことを学んだ」など、感謝と希望の言葉がつづられていた。(鈴木多美子通信員)